新国立劇場「魔笛」
(文中の敬称は省略しています)

●1998/05/06 新国立劇場の「魔笛」、ホントは5月9日の公演に行くはずだったんだけど、仕事の関係でダメになってしまった。仕方がないのであきらめようかと思っていたんだけど、今日は気合いを入れてZ席を確保するために新国立劇場チケット・センターに並んで、なんとか初日の公演を見ることが出来た。

 まずZ席のことだけど、視覚的に問題がある席を公演当日の10時からひとり1枚に限って発売する席のこと。値段は税込みで1500円とめちゃんこ安いが、全部で58席しかないから並ばないと買うことが出来ない。その根性を合わせて考えるとE席(3150円)を確保しておく方が得策だと思うけど、今回は人事異動に伴う急な出来事だったので仕方がない。休暇を取って新国立劇場に着いたのが9時10分くらい。まだ扉が開いていない新国立劇場入り口付近には、入り口の壁に沿って大体40人くらいが並んでいた。9時半過ぎには扉が開いてチケットセンターの方に入っていったけど、整然とした雰囲気で割り込みなどのマナー違反も一切なかったように思う。係員から説明があって、午前10時に発売開始。この時点では概ね80人〜90人くらいが並んでいたけど、買えないとわかってあきらめて帰った人も多かったようである。

 このZ席、今回は平日だったので9時過ぎに言っても何とか買えたけど、土日の公演だったら遅くとも8時半には行った方が賢明だと思う。平日でも席を確保できるリミットは9時半くらいで、それ以降だとあきらめることになってしまうだろう。

 モーツァルトの「魔笛」は非常に人気のある演目だけど、気に入った舞台に接したことがない。基本的には舞台はエジプトと言うことになっているんだろうけど、童話的な演目なのでいくらでも舞台設定を変えることも可能である。その意味では演出家の腕の見せ所が多い演目だろう。しかしながら場面がくるくる変わる演目なので、舞台展開などで手間取って音楽的な空白が多く、スカスカな舞台ばかりを見せられてきたような気がする。そんな不満がつのって、「魔笛」の理想的な上演は演奏会形式なんじゃないか・・・とすら思っていたのだが、今回は最先端の舞台機構を持つ新国立劇場である。その機能を生かしたスピーディ舞台を期待して出かけた。

 演出家はケルン歌劇場で長年にわたってオーソドックスな舞台を手がけてきたミヒャエル・ハンペ。今日の演出を一言で言うと、「無国籍型コスモポリタン的」な演出と言えるだろう。舞台装置には一面の星が描かれ、宇宙的未来型演出を予感させる。特定の国籍を連想させるような舞台装置や衣装は見あたらないけど、3人の童子の銀色の衣装はどこか宇宙服的だし、最後はザラストロからタミーノに指導者の地位を禅譲するようなシーンになるんだけど、そこの背景に地球が登ってくるのをみると、もしかしたら今回の「魔笛」の舞台は「月」あたりなのかもしれない。しかし宇宙船やロケットが登場するわけではなく(^_^;)、演出そのものは極めてオーソドックス。しかし今回の舞台がどこであってもそれは問題ではなく、正統的な内容を堅持している。奈落から迫り上がってくる舞台装置を駆使して重層的な進行を見せたのもスピーディで良かったし、第1幕で夜の女王が登場するシーンでは月のかたちをしたゴンドラで天上で歌うという設定。このあたりは新国立劇場の舞台装置ならではの演出だろう。

 しかしこのオペラ特有のコミカルな演出を期待している人にはちょっと物足りない内容で、笑わせてくれる部分は少なかった。このオペラは見終わった後になんか幸せな気分にさせてくれる演目なんだけど、堅苦しさがあって幸せな雰囲気にはちょっと欠ける感じ。どこが悪いというわけではないんだけど、パパゲーノとパパゲーナの「パ・パ・パ」のシーンでもちょっと幸福感が感じられなかったし、本舞台では登場しなかったパパゲーノ&パパゲーナの子供がカーテンコールだけで登場したのはちょっと違和感を感じてしまった。ホントは子供も登場させるはずだったんだけど、何かの事故でもあったのかと思ってしまった。

 その一方、歌手はなかなか高い水準で聴かせてくれた。第一キャストと言うことで期待していったんだけど、それを裏切らない内容だったと思う。永田峰雄は柔らかで伸びやかな声で、感情豊かなタミーノを表現。夜の女王を歌った崔岩光は、第2幕では素晴らしいスピードで超絶技巧的なアリアを披露して聴衆を沸かせた。(残念ながら第1幕のアリアではゴンドラが原因だったのか、かなり不安定なアリアだった) パミーナはセリフの言い回しでちょっと難があったけど、歌声は美しい。パパゲーノの河野克典は、コミカルな狂言廻しを期待するとガッカリするけど、声は柔らかく申し分ない。パパゲーナの高橋薫子は、この役では勿体ないほどの歌声だ。裏声でのおばあさんのから、若いパパゲーナに変わる役柄のコントラストも鮮やか。ちょっと残念だったのがザラストロの彭康亮で、セリフの言い回しは良かったけど、歌では声が伸びずに存在感と威厳が乏しかった。

 管弦楽の大野和士=新星日響は、期待以上の水準の演奏。出だしはざらついた弦楽器だったけど、音楽が進むに連れて艶やかな音を聴かせてくれるようになって、管楽器も破綻がなく、このレヴェルなら充分に及第点が与えられる。夜の女王の第2幕のアリアでは歌手とズレまくってヒヤヒヤしたけど、これは歌手の方に問題がありそうなので、大野和士のタクトは概ね全体を掌握していたんだろうと思う。ただし歌手に比べると存在感が乏しく、あくまでもサポート役に徹した管弦楽だったので、面白みは今一つ。

 今回の「魔笛」は、新国立劇場の出し物としては、もっともバランスがとれた内容を見せてくれたと思う。傑出した内容や決め手には乏しいけど、アンサンブルは整っているし、それなりに聴き応えがある舞台だったと思う。カーテンコールも好意的。個人的にはもうちょっと幸せな気分を味わいたい感じだけど、それは私の隣にパパゲーナが座っていなかったせいかもしれない(^_^;)。

(注)当初の文章でパパゲーナの出演者名を間違えていました。訂正いたします。