マリア・グレギーナ ソプラノリサイタル
(文中の敬称は省略しています)

●1998/04/26 人を最も感動させる楽器は「人の声」であると言われている。サントリーホールで行われたマリア・グレギーナのソプラノ・リサイタルは、そのことを改めて確認させてくれたコンサートとなった。

 プログラムは、第1部がイタリア古典の歌曲を中心に、第2部はグレギーナの母国語であるロシアの歌曲である。彼女の高音部(特に弱音のコントロール)でやや苦しい点があるものの、暖かく血の通った声は人間の営みを感じさせる。プッチーニやヴェルディなどの人間味が強烈に押し出されたドラマでは、感情を揺さぶるグレギーナの声は強烈な武器になる。先日の「トスカ」などでは、その魅力が十分に発揮された。

 しかし歌曲ではどうだろうか。初めて聴く曲ばかりだったので、断言はしにくいけど、前半のイタリア古典歌曲は、彼女の声が好適だったかと言われると、ちょっと違うような気がする。彼女自身のエンジンがかかっていなかったのも原因の一つかもしれないけどブレスの位置が変だったし、彼女自身も曲に合わせて歌い方をセーブしていたとはいえ、歌い方や声がややドラマチックに過ぎた印象がある。

 しかし彼女の持ち味が発揮された曲も多かった。前半ではカッチーニ(この人が作曲者かどうかは疑わしいらしい)の「アヴェ・マリア」。歌詞も「アヴェ・マリア」の単純な繰り返しだけど、その中に織り込まれた祈りの多彩さ、深さ、奥行きは実に素晴らしい。「アヴェ・マリア」という言葉に織り込まれた意味が、一つひとつ違うのだ。彼女に与えられた声の素晴らしさに加えて、感情表現の巧みさは、他の歌手の追随を許さないんじゃないだろうか。

 後半はロシアの歌曲がメインだったけど、全て初めて聴く曲ばかり。イントネーションの流れはイタリア語のそれに近い。カッコウの鳴き声をもしたチャイコフスキーの「かっこう」も印象的だったけど、素晴らしかったのはシチェドリンのオペラである。ソビエト時代のコルホーズを舞台にした現代的なオペラだけど、彼女の声が作り上げるドラマは舞台上演のそれを上回るかもしれない。彼女の声なら、下手な演出や舞台装置は、かえって邪魔になるのでは・・・と思わせる内容だった。

 熱烈な拍手に応えて、約40分ものアンコールを聴かせてくれた。

 とくにプッチーニは素晴らしい。容姿も申し分ないので、マノン・レスコーもトスカもはまり役だろう。鳴りやまぬ拍手に応えて「アヴェ・マリア」を歌ったけど、静寂で満ちたホールを響く彼女の声の豊かさは、今後の活躍を期待させるには充分すぎるくらいだ。再び彼女の声を聴けることを楽しみにしたい。