鄭京和ヴァイオリン・リサイタル
(文中の敬称は省略しています)

●1998/04/26 私が最も好きなヴァイオリニストを挙げろと言われたら、間違いなく鄭京和(チョン・キョンファ)を選ぶ。私が初めて買ったヴァイオリン関係のCDは、鄭京和が弾いたチャイコフスキー/メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲で、繰り返し繰り返し聴いたことを思い出す。ナマでは94年5月の都響定期演奏会で聴いたブラームスのコンチェルトは、例える言葉すら失う素晴らしさで、ヴァイオリンという楽器からこれ以上の感動は得た記憶がない。その鄭京和の久しぶりの来日公演で、デビュー30周年の記念リサイタル。サントリーホールは2日間とも概ね満員の盛況を見せた。

■26日 Aプログラム

■28日 Bプログラム

 ヴァイオリンは比較的早熟な楽器だと言われる。魅力的な若手ピアニストと言われると誰を挙げて良いのか考え込んでしまう。まぁ、個人的にはキーシンくらいしか思い浮かばない。しかし若手ヴァイオリニストを挙げろと言われれば、五嶋みどりやヴェンゲーロフ、ギル・シャハムなどなど枚挙に暇がない。その一方で、巨匠と言われるほど年齢を重ねると、この現象は逆転する。50歳代以上になるとなぜかピアニストの方ほうが巨匠と言われる人が増えてきて、ヴァイオリン弾きは姿を消してしまう。ピアニストは大器晩成型、ヴァイオリニストは早熟と言われる所以だろう。そして鄭京和は今年50歳、ヴァイオリニストとしてはかなりの年齢だと言っていいだろう。

 まず、この2日間の鄭京和のコンサートを聴いた印象である。テクニックや音色の美しさでは、残念ながら若手ヴァイオリニストのほうが勝っていると言って間違いない。テクニックではレーピンなどの方がアクロバット的な凄さを感じるし、音色では諏訪内晶子などの方がはるかに透明感や純度が高い。しかし、それが鄭京和の魅力を減じるものか、と問われれば、断じて否である。彼女のヴァイオリンの魅力は音色とかテクニックとかを超越したところにあるのではないだろうか。たぶん、このリサイタルを聴いた人だったら、そのように感じると思う。

 鄭京和の名誉のために言っておくけど、彼女のヴァイオリンのテクニックは今もって素晴らしい。少なくとも音楽を表現する上では、彼女のテクニックは必要にして充分なものを備えていると思う。若手の最高峰のヴァイオリニストと比べると分が悪いとはいえ、彼女にとってテクニックは音楽表現の「手段」であって、「目的」ではない。アクロバット的でサーカスみたいなテクニックをひけらかすようなヴァイオリニストと鄭京和を比較することは、鄭に対して失礼であろう。

 そして音色について。ドロシー・ディレイに師事したジュリアード系のヴァイオリニストだと貴金属的な美しい音を聴かせてくれるけど、私には無機的で画一的な音にきこえてしまう。一方、鄭の音色からはキラキラ輝くような輝きはあまり感じないし、透明感も高いとは言えない。しかしそれが鄭の最大の魅力でもある。鄭の音色には血の通った体温を感じる。きっと彼女のヴァイオリンの音の断面を切って見ることが出来れば、真っ赤な血が流れているに違いない。情熱的な演奏、スパッと切れるようなフレージング、その生命力の確かさ、人間の感情の営みこそ、彼女のヴァイオリンの魅力だろうと思う。

 今回のリサイタルでも、鄭の魅力は全く失われていなかった。初日、最初のシューベルト「二重奏曲」は今一つノリが悪かった感じだけど、「幻想曲」は秘めたる情熱が多彩な音色に乗り移って美しさを湛える名演奏。シューマンのソナタはよく解らない曲だったけど、バッハの「G線上のアリア」は枯れた音色で掘り下げた内容の演奏を聴かせてくれた。アンコールは40分にも及び、クライスラー「愛の悲しみ」とボルディーニ/クライスラー「ダンシング・ドール」、ドヴォルザーク「ユーモレスク」と、最後には定番のドビュッシー「素晴らしき夜」。小品の素晴らしさは、彼女の「コン・アモーレ」のCDでも実証済みだ。

 2日目は、1日目以上に素晴らしい演奏で、刮目すべきは伴奏ピアニストのイタマル・ゴランである。この日の名演奏の多くは、1970年、リトアニア生まれの若き伴奏ピアニストとの掛け合いがあって初めて生まれたものだろうと思う。コンビを組んだのは1996年からというからまだ1年ちょっとしか経っていないのに、ふたりの呼吸はピタリである。かなり現代的な色彩が濃いストラヴィンスキーは、ピアノの比重が大きい「二重奏曲」と言って良い。バルトークのソナタもそうだけど、鄭京和のパッションをゴランのピアノが絶妙なタイミングで受け止める名演奏に会場は沸きに沸いた。どちらも録音などで聴いたらゲンダイ的すぎて面白くない曲かもしれないけど、名演奏家のライヴだと最高のキキモノになるから不思議だ。

 バッハのパルティータ第2番は無伴奏なだけに全く誤魔化しが利かない曲だけど、シャコンヌの内面に込められた情熱と集中力は聴くものを捕らえて離さない。全身全霊を傾けてヴァイオリンにうちこんでいる姿は、音楽に仕える巫女のようである。彼女の魅力は録音からでも伝わってくるけど、間近に見るライヴと比較すると録音では納めきれないモノの多さに驚かされる。

 プログラム最後のラヴェル「ツィガーヌ」は、これまたゴランとの掛け合いが見物だった。圧倒的な集中力にリラックスした雰囲気も加わり、絶妙のコンビで変奏曲を重ねていく。アンコールはラフマニノフ「ヴォカリーズ」、クライスラー「美しきロスマリン」「中国の太鼓」、ドビュッシー「素晴らしき夜」、一度はヴァイオリンを置いてステージに現れた鄭だったけど、鳴りやまぬ拍手に応えてドヴォルザークの「ユーモレスク」を演奏。実に40分に及ぶアンコールだった。(なお、この日のコンサート冒頭には、プログラムに記載のなかったバッハ「G線上のアリア」が演奏された)

 この2日間のリサイタルは、まさに音楽を聴く喜びそのもの。近いうちの再来日を期待したい。