小泉和裕=東京都交響楽団
(文中の敬称は省略しています)

●1998/03/20 95年から都響の首席指揮者として活動をしてきた小泉和裕の最後の定期演奏会。知性的で絶妙のプログラミングで人気を博した「音楽監督」、若杉弘の後任ではあったけれど、当初より次期「音楽監督」が決まるまでのショート・リリーフという見方が強かったように思う。都響の顔となるべき指揮者には常に「音楽監督」という称号が与えられてきたけど、小泉和裕は「首席指揮者」という中途半端なタイトルだった。その称号にも小泉の立場が端的に現れているけれど、この3年間、彼はロマン派の曲を中心に取り上げてきた。その成果に対する私の評価は決して芳しいものばかりではないけれど、最後の定期となった今回も得意とするドイツ・ロマン派からの選曲である。

 まずシューマンの序曲は10分程度の曲だけど、演奏が悪いのか、それともこーゆー曲なのかわからない。えらく重たい曲で、オケが出した音がステージ上に留まって、私の席まで音がとどかない感じがもどかしい。このようにモコモコとしてハッキリしない演奏は一番嫌いな類で、思わず爆睡モードに突入してしまった。その影響からか、つづくゲルパーの弾くピアノ協奏曲も集中しきれなかったんだけど、彼は私の好きなピアニストのひとりである。かつてデンオンからベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集がリリースが注目を集め、リサイタルにも行ったことがあるけど、スケールを感じさせる構成力と骨格のしっかりした音色が美しいピアニストである。今日のゲルパーは、以前に聴いたときよりも音色的には荒れた印象を受けたけど、音楽の左右の広がりや奥行きの深さは流石である。音楽をかなり揺らしたりしたので、オケと噛み合わないところも散見されたけど、全体的にはゲルパーの流儀に沿った演奏だった。

 休憩後はメインのブラームスの交響曲第1番。ブラームスの1番というと、10年くらい前にザンデルリンクが読響に客演したときの名演奏が忘れがたいけど、小泉の演奏はそのレベルまでは及ばないとしてもブラ1の実演としてはとても水準が高い内容だったと思う。正直言って、ここまでのレベルの演奏が聴けるとは思ってもいなかった。いつも小泉に感じていた不満として、音のバランスの悪さ、オケのも通しの悪さがあるけど、この演奏に限っては同じ指揮者とは思えない内容。ブラームスらしい重心の低さと愁いを帯びた弦楽器の音色が組み合わさって、バランスの良い音楽を醸し出す。オケの音が重なり合っても見通しがよいので、決して音楽が重たくならないのが好ましい。ただし第2楽章なんかはじっくりと聴かせて欲しいと思う部分だけど、小泉の音楽は先を急ごうとしているように聞こえて感覚的に違和感を覚えたり、楽章毎の表現がやや一本調子に聞こえたのは残念なところ。ただ、この部分はホントに個人的な好みの部分なので、この演奏の評価を下げることにはならないだろう。

 小泉和裕の有終の美を飾るには相応しい内容の演奏で、終演後には大きな拍手を集めていた。このところ停滞がささやかれていた都響だけど、来月よりベルティーニによる新体制がスタートする。会員券の売れ行きも好調のようだけど、新音楽監督ベルティーニ=都響の動向は、東京の音楽シーンのなかでも大きな注目点になるだろう。