藤原歌劇団「椿姫」
(文中の敬称は省略しています)

●1998/02/21 このところ流行しているインフルエンザで寝込んで、行く予定だったコンサートを7回もキャンセルしてしまったけど、少しは回復したので今日は新国立劇場で行われた藤原歌劇団の「椿姫」に行って来た。チケットは発売当日に行列に並んで手に入れたF席2,000円、都民芸術フェスティバルの一環なので格安である。

 毎年1月にレパートリー的に上演されている藤原の「椿姫」は、久しぶりの新演出だったけど、終演後は演出家に凄まじいブーイングの嵐が浴びせられる波乱の幕開けとなった。イタリア・ミラノ出身の演出家トマージは、昨年の藤原「ファヴォリータ」に続く演出だけど、彼はこの「椿姫」に新しい視点を取り入れようとしていた。プログラムにも演出の意図などは一切書かれていないので(何のためのプログラムなんだ!)、ハズしているかもしれないけど、トマージは「椿姫」をアルフレードの回想として描こうとしているように思えた。悲劇を予感させる前奏曲が始まると、すぐに舞台右手袖に置かれた丸テーブルと照明のスタンドにスポットがあたり、その椅子にアルフレードが腰掛けて本を読みはじめる。彼の回想が始まるのと同時に、ヴィオレッタが舞台に登場するのだ。

 これだけなら何と言うことはないのだけど、奇想天外なのはアルフレードが本来登場しないシーンでも、つねにアルフレードは舞台袖のテーブルに腰掛けて本を読んでいるのだ。第2幕第1場で、ジェルモンがヴィオレッタに別れを迫るシーンでも、パリに出かけたはずのアルフレードは舞台上にいるのだ。第3幕、結核に苦しんであるヴィオレッタの家で、一縷の望みをかけてジェルモンからの手紙を読み上げるシーンでも、つねにアルフレードは舞台袖のテーブルで本を読んである。これは想像に過ぎないけど、この演出は「アルフレード」=「アルマン(椿姫の原作での名前)」=「デュマ・フェス(椿姫の原作者)」という構図で、この物語の作者はアルフレードであることを暗示しているのだと思う。そして彼が読んでいる本はもちろん「椿姫」なのだろう。(もしかしたら競り落とした「マノン・レスコー」かもしれない!?)ヴィオレッタの死のシーンでも、彼女は床に伏すのではなく、暗闇である舞台奥の方に吸い込まれるように歩いていくことによってヴィオレッタの死を表現している。これはアルフレードの回想という視点があってこそ、はじめて生きてくる演出だろうとは思う。

 もちろんアルフレードが登場するシーンでは、彼はテーブルを離れて、舞台上で実際に歌を歌い演技をするのだけど、全体的に見てこの意図が成功しているかどうかというと疑問で、アルフレードの回想とすることによって新たに加わった視点がどこにあるのかさっぱり解らない。確かに新機軸だろうと思うけど、ヴィオレッタやアルフレードの新しい人間像が見えてきたわけではない。ただただ「回想」という意味合いをくっつけただけで、「回想」にする必然性は明らかに不足している。私としてはブーイングはしないまでも、やはり練り混み不足と指摘せざるを得ない。

 舞台装置も、ちょっと期待はずれだった。新国立劇場だけではなく東京文化会館でも公演を行うので、大々的な舞台転換を要するような装置は作れないだろうと思っていたけど、これまでオーチャードで使っていた舞台装置と同等かそれ以下。最初はハッとするほど豪華に感じるけど、第1幕から第3幕まで同じ装置を使いまわすのでちょっと興ざめ。とくに第2幕第1場のパリ郊外の別荘は背景が変わっただけでそれ以外は同じ装置というのにはガッカリ。でも同じ舞台装置を二期会が使ったら、「すっげー豪華〜!」と感じるんだろうなぁ。

 歌手ではまず、ヴィオレッタを歌ったトマスが素晴らしい。このシリーズに登場したヴィオレッタの中でも一二を争う水準で、鈴のように美しく艶がある高音が実に美しい。音程もふらつきがなく、声のつながりが良いので、安心して歌を聴くことが出来る。あえて欲を言えば、喜怒哀楽の表現の幅がもう少し広ければ・・・と思うけど、昨年のゲオルギューを大きく上回る歌唱力で、92年と95年に登場したデヴィヌーを凌ぐ歌唱力&表現力だろうと思う。アルフレードを歌ったアローニカも、このシリーズに登場した同役では最高の歌手と断言して間違いない。第1幕冒頭ではちょっと声が出ていなくて不安を感じさせたけど、幕が進むに連れて艶やかで美しいリリックな声を聞かせてくれるようになってきた。常に美しい声を出すことを心がけているのようなのだけど、声量には全く不足は感じない。トマスと組んでも聴きおとりがしないので、バランスが良い配役だ。ジェルモンを歌ったセルヴィレは、ちょっと説得力不足だけど、まぁ、許せる範囲内の出来映え。「椿姫」は、この3人以外の比重が著しく軽い演目なのだけど、脇役に至るまで水準が高い歌唱で、歌に関しては充分に満足できるレヴェ ル。

 しかし管弦楽はちょっと不満。問題は指揮者のあるのだろうと思うけど、テンポの設定がかなり恣意的で、第1幕でアルフレードがヴィオレッタに恋をうち明ける「ある幸せな日に」ではテンポが速すぎてムードがないし、そのあとの「そは彼の人か」は反対にテンポが遅すぎて間延びしてしまう。ここだけではなく、第3幕までそのようなシーンが散見され、ちょっと集中力を欠いてしまう管弦楽になってしまった。あとピアニッシモをあまり使わない指揮者で、繊細な心理表現を管弦楽で表現するには、もうすこし工夫が欲しいところ。

 私が見に行ったオペラで、演出家にこれほどのブーが出るのは初めてで、オーソドックスな演出を心がけてきた藤原歌劇団としては極めて珍しい事だと思う。かなりの手直しが必要だと思うけど、今シーズンの上演中や来年のオーチャードホールでの公演で修正があるのかどうか、注目したい。