音楽鑑賞教室について
(文中の敬称は省略しています)

●1998/02/01 もう5年も前のことなのでところどころの記憶は曖昧だけど、音楽鑑賞教室に関する「大きな事件?」を思い出す。93年6月18日の都響定期演奏会がそうだったんだけど、指揮はジャン・レイサム=ケーニックで、ベートーヴェンの「皇帝」(pf:エマニュエル・アックス)、シマノフスキ交響曲第3番、ラヴェル「ダフニスとクロエ」というプログラムだった。これだけなら普通のコンサートだったんだけど、不幸は東京文化会館の3階サイドの座席が定時制高校の「音楽鑑賞教室」で一杯になったところから始まった。この高校生の演奏中の態度が悪いことを挙げれば枚挙に暇がない。演奏中に関係のない話が遠く離れた私の席まで聞こえてくるし、席を離れて頻繁に出入りして、演奏を聴く様子が全く見えない。もちろん全員のマナーが悪かったわけではないと思うけれど、全体的な印象としてはこのとき以上にマナーが悪い聴衆は見たことがなかった。引率の先生もいたみたいだけど、全然注意する様子もないし、とにかくコンサートに連れてきて音楽を聴かせればそれで事足りると考えていた様子だ。

 これを見たひとりの聴衆が凄い勢いで怒りだした。「皇帝」が終わって休憩時間になると「お前ら、うるさいぞ! 音楽をなんだと思っているんだ! 出ていけー!」と叫んで大騒ぎ(具体的に何と言ったか正確には覚えていませんけど、まぁ大体こんな感じ)。 高校生はこの怒りに「えっ!?」と言った感じで、何が悪かったか解っていないみたいだったけど、さんざんの騒ぎの末に引率の先生が「これではマズイ」と思ったらしく、演奏会途中で退場させることになった。普通だったらこれで騒ぎは収まるはずだけど、怒り始めたひとりが完全にキレてしまって、もう収拾がつかない。「あいつらが騒いだために聴けなかった音楽は取り返しがつかないんだ−っ! あの高校生、ぶっ■してやらないと気がすまん」(決して誇張ではなく、こう言いました。これはハッキリと記憶しています、ハイ)  この人の目つきを見ると明らかに常軌を逸しているし、他のホールでも騒いでいるのを何回も見ている「札付き」のリスナー。他のリスナーにもイチャモンをつけ始めて、もはや収まらない状況に突入!。さすがにヤバイと思った都響事務局に人などが、シマノフスキが終わったときにこの激昂したオ ジサンをホールの外に「強制連行」してなんとか収拾したんだけど、時はすでに遅し。「ダフニスとクロエ」は聴こうなんて気持ちは吹き飛んでしまって、音楽に集中できない。演奏会終了後、都響の責任者がステージから謝罪するとおもに、あとから定期会員などには事態の顛末を書いた手紙が送られてきた。

 これがいわゆる「都響争乱事件!?」の一部始終である。さすがに都響はこれに懲りて、定期演奏会を音楽鑑賞教室として利用させるようなことは行っていないようだ。なんでこんな事を延々と書いたかというと、このような経験が音楽界に生かされていないのではないか・・・と思わせる件があったからだ。高本秀行氏のホームページDairy Classical Music in Tokyoにも書かれていたけど、5月に予定されている新国立劇場「魔笛」の平日マチネは中高生の団体客によって予約が入っており、一般発売はおろか会員優先発売にもS席しかない日があるらしいのだ。私も会員優先発売で買いに行ったら、安い席がないと言われたので諦めて買わなかったのだが、事の理由はこうだったらしい。私はこのホームページを通じて新国立劇場の問題点を指摘し続けているけど、ちょっとこれは呆れるばかりである。何の情報伝達手段もないのならともかく「ジ・アトレ」という会報もあるしホームページもある。最低限、これらの情報を公開するのが道理だろう。さらに一般のリスナーと音楽鑑賞教室のようなものを同居させるのは絶対に無理がある。都響争乱事件のような極端な例ではなくとも、ロストロポーヴィチ=ワシントン・ナショナル交響楽団の時も修学旅行の学生で不愉快な思いをしたことがあるし、昭和女子大人見記念講堂で行われるコンサートは聴きたくもない学生が仕方なく聴きに来ているのでマナーが悪い。

 私自身も子供の頃に音楽鑑賞教室でクラシックコンサートを聴いた原体験があるからこそ、今日のようにコンサート通いをしている。だからその意義を否定するつもりもないし、積極的に取り組むべきだろうと思う。しかし音楽鑑賞教室などは、絶対に非公開にするべきだ。お金を払って聴きに行ったリスナーとして不愉快なばかりでなく、あの都響を聴きに来ていた高校生も不愉快な思いをしたに違いない。彼らがまたクラシック音楽を聴きたいと思うだろうか?・・・と思うと、どちらの立場に立とうとも不幸な結果しか招かないような気がする。新国立劇場の関係者は、この都響の事件を知っているのだろうか。 


●98/02/06 音楽鑑賞教室について上のように書いたところ、以下のようなご意見を頂きました。

 修学旅行や音楽教室の生徒を入れた定期演奏会は、N響等でも見られますし、そのすべてが鑑賞態度が悪いとも言い切れないと、私は感じています。今回の魔笛でも、学校の先生の指示・教育が徹底されれば、生徒も皆静かに鑑賞するかも知れません。
 修学旅行での鑑賞は、地方の生徒に「東京のホールで上質の音楽を」聴かせることは、将来の聴衆開拓にもなります。しかし、演奏会を買い取るのは、実際問題、経済的理由から不可能でしょう。複数の学校を併せて、というのも、スケジュールの問題から難しい。要は先生が生徒に徹底するのと、オケ側で客席に人を付ける、等の対応を取れば、かなりうまくいくのではないかと思います。それを事前に学校にも伝え、徹底出来ないようならご遠慮願う、ということで良いのではないでしょうか?(中略)

2国の問題は、マチネーとは言え、S席以下をすべて団体に廻したという「数における行き過ぎ」と、その「事前情報開示」がなかった点であり、(以下、省略)

 このご意見を拝見して、私の表現にちょっと行き過ぎがあり、誤解を与えてしまう可能性があると感じました。私の本意はご意見の内容と大きな違いはないと思います。きちんと事前の教育が行き届いていれば、一般の演奏会を音楽鑑賞教室として利用することは問題ないと思います。また現実には非公開とするほど、大規模な音楽鑑賞教室をもつことは難しいでしょう。そのあたりの表現は改めたいと思います。

 しかしながら今回のように、A席以下を全て買い取って行われる「音楽鑑賞教室」でも、あらかじめそのことを知った上でS席(Z席)を買って聴きに行ったのなら若干のトラブルも許容できるでしょう。しかし、何も知らずにS席(Z席)を買って聴きに行った人が同居したとしたら、「トラブル」が「事件」に発展する可能性は格段に高くなると思います。ましてやZ席の周りはほとんど学生ですし・・・・「ううむ」ですね。学校側の対応としても、さすがにこれだけの人数だと事前の指導が徹底させるのも難しいような気がします。

 残念ながら、今回の新国立劇場の対応は、「音楽鑑賞教室に参加する学生」と「自腹を切って聴きに来るリスナー」いずれにも配慮が欠けているような気がしてなりません。今からでも対応できることがあります。是非、新国立劇場にもこのことを考えてもらいたいと思います。