新年特別企画第1弾
1997年コンサート・ベスト10!
(文中の敬称は省略しています)


●1998/01/01 新年、あけましておめでとうございます。このホームページを始めて、2回目の新年を迎えることが出来ました。昨年はなんとか来場者40,000人を記録して、平日にはコンスタントに200人くらいの人が来てくれるようになりました。月に10回程度の更新を行ってきましたが、おかげでホームページ容量もこのブロバイダの限界である10MBに近づきつつあります。今年は何らかの対応をとらないとまずいのですが、マイペースで、忙しいときは忙しいなりに、暇なときはヒマなりに更新していきますのでよろしく!


 で、ホントなら12月に読者参加型でコンサート・ベスト5でもやろうと思っていたのだけど、諸般の事情で忙しくなってしまい、企画をやっているヒマがぜんぜんなかった。年末年始に遅れていたコンテンツの整備をしないと追いつかないんだけど、やっぱり昨年はきちんと回顧しておかないと目覚めが悪い。そこで私一人だけで、昨年のコンサート・ベスト10をやらせていただきます。
 昨年行ったコンサートは全部で113回、使ったチケット代を合算すると40万円くらい。つまり1回のコンサート代は平均すれば4,000円をちょっと切ったあたりで、個人的には例年並みの水準。でもこれで海外から来たオペラなども網羅しているのですからまぁまぁの線なのかなぁ・・・と思っています。
 昨年のコンサートはなかなかの豊作で、10のコンサートに絞るのに苦労しました。いずれ劣らぬ名演奏ですから、あえて順位はつけずに時系列で掲載することにしました。まぁ、新年の暇つぶしにご覧ください。

ハレー・ストリング・カルテット 第29回定期演奏会

●97/01/31 シューベルトの200回目の誕生日に当たる日、ハレーSQの29回目の定期演奏会の曲目はオール・シューベルトで、弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」と弦楽五重奏曲。
 「ロザムンデ」の演奏はイマイチだったけど、後半はバーナード・グリーンハウスを迎えての弦楽五重奏曲は素晴らしかった。グリーンハウスは1916年生まれとあるから、今年で81歳になるわけだけど、そのような年齢はまったく感じさせない。足取りはしっかりしているし、矍鑠とした態度は巨匠の雰囲気を醸し出している。そんな彼の存在が大きかったからだろうか、素晴らしい演奏を聴かせてくれた。曲そのものも変化に富んでいてパノラマ的な景観さえ感じさせるけど、四重奏以上に各パートの音がはっきり分離して聞こえてきて、なおかつ統一感を感じさせる。まるでグリーンハウスの手で魔法をかられているような感じがしたけど、ハレーSQの潜在能力の高さがあってのこと。第2楽章の漆原とグリーンハウスの間で奏でられたピチカートによる対話の美しさは筆舌に尽くしがたい。
 なお、10月の定期で演奏されたシューベルト弦楽四重奏曲第15番も、これに劣らぬ名演奏だった。(カザルスホール)

朝比奈=N響のブルックナー

●97/03/07 朝比奈隆=N響によるブルックナーの交響曲第8番の2日目。
 初日を上回る名演と言って良いと思う。明晰とは言い難い朝比奈のタクトゆえ、昨日の演奏会ではフライングなどが多かったけど、2日目の演奏ではそのほとんどが解消されていた。木管のミスやホルンの音色など子細な問題を挙げることは出来るけど、全体の素晴らしさから見れば問題にはならない。第3楽章のアダージョはこの曲の白眉だけど、長い山道を登るのに似たテーマの繰り返し、頂に達したときのパノラマ感の見事さはさすがとしか言いようがない。息の長いフレージングと直線的な弦楽器のボーイングから生み出される太い骨格によって、ヨーロッパの堅牢な教会を見上げるようなブルックナーの世界を見ることが出来た。特に弦楽器の力演は特筆に値する。オーケストラがステージから引き上げた後も朝比奈は二回も呼び戻され、満場のスタンディング・オベーションによって喝采を浴びていた。(NHKホール)

ジュリアード弦楽四重奏団のベートーヴェン

●97/06/02 ジュリアード弦楽四重奏団を引退するロバート・マンにとって最後のベートーヴェン・チクルス、その中でも第14番は素晴らしい演奏だった。これぞ室内楽の神髄! 弦楽四重奏の最高峰といわれるベートーヴェンのカルテット、中でも最高傑作との評価が高い「第14番」の弦楽四重奏曲を、ジュリアードSQは最高の演奏で再現して見せた。
 7部編成で休止符をおかずに通しで演奏される40分の大曲だけど、1stのロバート・マンによる出だしの音から聴き手を強烈に引きつける。音の密度がこれまでに演奏と比較して、数ランク違うのだ。プレトークでVaのサミュエル・ローズが「これはベートーヴェンの最高傑作、もし無人島に行くとき一冊の楽譜を持っていくとしたらこの14番を選ぶ」と語っていたように、4人全員の思い入れが強く強く伝わってくる。
 この曲はソロが多い曲でもあるけど誰の音色をとっても均質で美しいし、掛け合いのタイミングの絶妙さ、間の取り方や呼吸の自然さは申し分ない。たぶんこのカルテットの最高の美点は、この「呼吸の自然さ」ではないだろうか。誰がリードしているのか解らないようなタイミングの取り方、4人とも呼吸を合わせようという概念を超越して音楽を理解し合っているのではないだろうか。その次元から音楽を創造するからこそ到達し得る水準だろうと思う。聴いているうちに心臓がドキドキしてきて、神経がステージに釘付けになってしまった。これだけの演奏に接することが出来るのは一年に何度もないことだ。(カザルスホール)

英国ロイヤルバレエ「ロメオとジュリエット」

●97/06/25-26 音楽的にはオケがタコだったのでベストに選出するのは気が引けるのだけど、舞台的に見ればこれまでこれ以上のバレエ体験はなかった。この「ロメオとジュリエット」は、ケネス・マクミランの振付だけど、これが非常に格調が高い舞台を作り上げている。何よりも「振付」が素晴らしい。言葉が存在しないバレエ公演で、これほどまで繊細な心理表現・感情表現が可能とは思いもしなかった。一見、高度なテクニックが見あたらないように感じるけど、ジュリエットには極めて高度な心理表現が要求されている。最大の見所は、ジュリエットを踊るダーシー・バッセル(初日)とシルヴィ・ギエム(2日目)の競演である。
 初日の配役はアダム・クーパーがロミオを踊り、ジュリエットダーシー・バッセル。そのバッセルだけど、実に素晴らしいジュリエットを演じた。もうこれ以上考えられないくらいのジュリエットだ。シェイクスピアの戯曲だと、ジュリエットは14歳。バッセルはすこし小柄でとても可憐、その愛らしい容姿はジュリエットにピッタリ。感情表現も繊細かつ豊か。舞踏会でのロミオとの出会いの驚きと喜び、親が決めた婚約者パリスとの踊りでは心ここにあらず、戸惑いと悲しみを隠しきれない。さらにロミオの死骸をみて自ら命を絶つシーンでは、涙を禁じ得ないだろう。舞台上の彼女は、もはやバッセルではなくジュリエットそのものになりきっていたような感じさえする。翌日は、シルヴィ・ギエムとジョナサン・コープ。ギエムが踊るジュリエットも悪くはなかったけど、微妙な心理表現ではバッセルの方が遙かに巧い。
 音楽的にはプロコフィエフの最高傑作に数えられる作品だけど、演奏はリチャード・バーナス指揮の東京フィルハーモニア管弦楽団。初日はまずまずの演奏だったが、2日目は金管の疲労が目立つ。音程が不確かで、よく転けた(^_^;;) 他のパートはともかく、金管に限ってはハラハラ、ドキドキの連続! バレエの場合は視覚に神経が集中しているので気にならないかもしれないけど、これが演奏会だったら聴く気になれないだろう。

ヤルヴィ=エーテボリ交響楽団のシベリウス

●97/07/08 このオケの音は、やっぱり北欧のオーケストラだ。シベリウスはフィンランド生まれ、このオケはスウェーデン、この二つの国の政治や経済、文化などがどのように異なるのか全く不案内なのだけれど、音楽の上では共通の言語があるようにも思える。特にシベリウスの交響曲第2番は、素晴らしかった。ヤルヴィは、第2楽章の途中でタクトを譜面台にぶつけ、真っ二つに折ってしまう「事件」が発生したけど、そんなことは全く意に介さない。割り箸程度の長さになったタクトを握り続ける姿はちょっと滑稽だったけど、その姿は真剣そのもの。器用なタクトには見えなかったけど、心からシベリウスに共感しているのが視覚的にも伝わってくる。もちろん音楽としても、濃密に具現化されていたのは言うまでもない。アンコールはステンハンマーの「歌」から”メランコリック・カンタータ”と、シベリウス「カレリア組曲」から”行進曲風に”の2曲。オーケストラが引き上げても鳴りやまぬ拍手に、ヤルヴィがステージに連れ戻される一幕もあった。(サントリーホール)

マーカス・ロバーツ・トリオ

●97/09/06 ジャンルがクラシックではないので番外的な扱いにした方が賢明だったのかもしれないけど、内容的には素晴らしいコンサートだったのは間違いない。マーカス・ロバーツは、今年33歳の盲目のジャズ・ピアニストである。ステージに登場するときは、共演のドラム(アリ・ジャクソン・Jr)、ベース(タデウス・エクスポゼ)にピアノのところまでエスコートされているけど、一度ピアノの前に座ったら彼が盲目であると思う人はいないだろう。
 ジャズとクラシックを比較する と、「音やハーモニーの美しさ」や「アンサ ンブルの精緻さ」、ではクラシック音楽の方 が大きく上回っているのは確かだろうと思 う。しかし、その代償だろうか、・・・ジャズ に劣っているものもある。この日のライヴで感じたのは、「呼吸」である。アドリブ的な要素の大きいジャズで、3人が曲の変わるタイミングをピタリと読みとる「呼吸」の合わせ方は驚きだし、さらに聴衆の「呼吸」を感じ取ってライヴを盛り上げていく感覚はクラシック音楽の世界ではでは考えられないんじゃないだろうか。私が座った席は、マーカス・ロバーツから数メートルしか離れていない一列目中央のブロック、ジャズではライヴ感を味わえる最高の場所だったかもしれない。後半は、会場が一体となって3人の絶妙の呼吸酔いしれてしまった。ライヴは予定を大幅に超過する3時間に及び、終演後は熱烈な拍手とスタンディング・オベーションがまきおこった。(松本市 ザ・ハーモニーホール)

小澤=SKOの「マタイ受難曲」

●97/09/07 この秋、賛否両論の議論が巻き起こった演奏会。故武満徹氏からオペラシティ・コンサートホールのこけら落としとしてこの曲を依頼され、小澤が用意周到な準備を重ねて挑んだ「マタイ受難曲」。小澤=SKOが「マタイ受難曲」を演奏するらしい・・・という話を聞いて期待はしていなかったんだけど、しかし、その予測は良い意味で裏切られた。
 管弦楽は控えめで、アンサンブルは精緻で室内楽的。も ちろん、要所のツボは押さえていて、後半に進 むにつれてドラマチックな表現も見受けられた けど、それが音楽の流れを阻害するようなこと はなかった。一部に古楽器を用いたり、弦楽器は現代楽器にバロックの弓 が用いられた。また合唱の東京オペラシンガ ーズも特筆に値する。この 曲の聴かせどころであるコラールは実に感動的だった。
 ソリストでは、福音史家のエインズリーは明朗で引き締まった歌声の見事。イエスを歌ったトーマス・クアストフは、実に深い声で説得力抜群。彼は11月にロストロポービッチ=NJPでブリテンの「戦争レクイエム」を歌うらしいので注目である。シュトゥッツマンは、以前に都響で聴いたときよりも声の深みが足りないような気がしたけど、さすがに現代最高のアルトだけに 巧くまとめきったと思う。その他のソリストも、私が聴く限りではほとんど不満のない内容だった。バッハの最高傑作「マタイ受難曲」を感動的に再現した一夜。(松本市文化会館)

アンネ・ゾフィー・フォン・オッターの「カルメン」

●97/09/20 ケント・ナガノ=リヨン国立歌劇場による演奏会形式の「カルメン」公演の初日。注目はアンネ=ゾフィー・フォン・オッター、あのクライバー=ウィーン国立歌劇場の「ばらの騎士」で気品が高い声を聴かせてくれた彼女が、ジプシーの煙草工場の女工の役を歌うのである。あの声が「カルメン」に合うだろうか・・・と考えるのが普通だと思うけど、今日の公演を聴いてやっぱりカルメンの声ではないと思った。しかしミスキャストはミスキャストでも、「素晴らしきミスキャスト」と言えよう。彼女がステージに登場して、第一声を発したときのふわっとした空気感と上品な色気、艶は、言葉に尽くしがたい。オッターが登場し、その声が聴けただけでもこの公演に行った価値があった。
 管弦楽のケント・ナガノ=リヨン国立歌劇場管弦楽団だけど、さすがにブラスの国だけに、管楽器は実に巧い。明るく抜けきった管楽器の音は、日本のオケでは決して聴くことが出来ないだろう。もちろん個人技だけではなくパートの受け渡しの時の音のつながりも実に綺麗に処理されていて、自然な音楽を作り出すのに長けている。弦楽器は、明るく軽やかな雰囲気。すべてのパートにおいて、音のつながりが良く、自然な流れを作り出せるオーケストラだ。ケント・ナガノのタクトも、歌手との呼吸を大事にしたもので、音楽的に不自然な点は微塵も感じさせない。
 カルメンらしくないカルメンだったけど、これほど音楽的な水準が高い上演にはなかなか出会えないんじゃないだろうか。(文化村オーチャードホール)

パブロ・カザルス・メモリアル・コンサート

●97/10/12 日本初の室内楽専用ホールとしてカザルスホールがオープンしてから10年目を迎え、それを記念するコンサート。 開演は15時で、途中20分の休憩と50分のカクテルタイム(ワインと軽食のサービス付き)をはさんで終演は21時半。いくら室内楽に関する世界的な名手が集まったとはいえ、6時間半にも及ぶとすべての曲を集中して聴くのは難しいし、いちいちその感想を書いていたらメチャクチャな字数になってしまう。したがって内容については「こんさぁと日記」を参照して欲しいけど、まさにカザルスホールの10年の歩みを総括するに相応しいコンサートだった。。
 アンコールは登場した全奏者が加わってのヨハン・シュトラウス「春の声」が演奏されたけど、贅沢の極みである。パブロ・カザルス、アレクサンダー・シュナイダー、ミエチスラフ・ホルチョフスキーの三人の名演奏家の精神はこの演奏家達に引き継がれている。カザルスホールはこの精神を具現化する場として、日本の室内楽演奏に大きな影響を与えてきた。レジデント・カルテットの育成、アマチュア室内楽フェスティバルなどの企画力の高さ。さらに知名度がなかった室内楽奏者が何人も登場したけれど、そのほとんどが素晴らしい演奏家だった。その選択眼の高さは特筆に値する。この企画を担うスタッフは、このホールにとって最も大切な宝に違いない。これからの10年も、変わらぬ精神を引き継いで欲しい。(カザルスホール)

ベルリン国立歌劇場の「ヴォツェック」

●97/11/22 ベルリン国立歌劇場は、今回の来日公演で「ワルキューレ」「魔笛」「パルジファル」と極めて高い充実度を見せてくれたけど、その代表としてこの「ヴォツェック」を挙げたい。この「ヴォツェック」、たぶん今回の来日公演の中では一番良い出来だったんじゃないだろうか。
  鬼才シェローの演出はなによりも、歌手の演技が徹底されていてオペラを見ていると言うよりも演劇を見ているような錯覚に捕らわれる。歌手、管弦楽とも、ほとんど文句のつけようがない。今回の4演目の中では、最も緊張感の高さが伝わってきた。日本ではなかなか上演される機会も少ないし、私自身もナマで見るのは初めてなのだけど、ベルグの鋭角的で劇的な音楽が、20世紀オペラの最高傑作であることを改めて証明した一夜だろうと思う。8年前の来日と比べてると、ベルリン国立歌劇場はまるで見違えるようだ。今回は4演目とも一番安い券で聴けたので合計32,000円の出費だったけど、これは5月のMET「カヴァレリア&パリアッチ」の1演目を見に行ったときの値段とほぼ同じ。満足度では、ベルリンの方が圧倒的に上だ。 (神奈川県民ホール)