コミッショーナ=都響

(文中の敬称は省略しています)


●96/12/20 いよいよ今年最後のコンサート、コミッショーナ=都響のサントリーホール定期である。先日の文化会館定期はあまり良くなかったけど、曲の傾向は大きく変わってロシアもののプログラム。まずはR=コルサコフの「金鶏」プロローグと行進曲は爆睡モードに突入してしまったのでパス。

 つづくラフマニノフのピアノ協奏曲第一番は、演奏されること自体めずらしい作品で2番・3番の陰に完全に隠れてしまっている。私自身聴くのは全く初めて・・・いや、フィギュア・スケートの伊藤みどりの時に部分的に聴いているかもしれない。学生時代に書かれている作品だけど作曲者自身のよって晩年に改訂が重ねられ、完成度は非常に高い作品に仕上がっているので、もっと取り上げられても良いのではないかと思った。ロマンチックでもどかしいような歌い回しは乏しいし、メカニカルで技巧的なところが強調された作品なので馴染みにくい側面もある。でもちょっと聴いただけでラフマニノフの作品とわかる独特の響きがあるのは確かで、繊細で透明感ある音が求められる。ソリストの清水和音を聴くのはとても久しぶりだけど、テクニックは確かだし打鍵も鋭く音量も申し分ない。でも音色はイマイチで、音の粒立ちはもうすこしはっきりしてほしいし、多少の濁りも感じられる。でも演奏全体としては楽しめた。

 休憩後はチャイコフスキーの「マンフレッド交響曲」。チャイコフスキーとは思えない濃厚系の曲で、ドラマチックで起伏が激しい作品である。前半のラフマニノフにも言えることだけど、コミッショーナという指揮者はオケから品のある音色を引き出すことにかけてはなかなかのものだと思う。ラフマニノフの弦楽器なんかはぞっとするほど美しい部分もあったし、マンフレッドも例外ではない。ダイナミックレンジも広く、ドラマチックな演奏になったと思う。しかしオケのパートが不揃いになってしまうところも多く、これが気になり始めると音楽を楽しめなくなってしまう。この指揮者、タクトの打点が不明確なのだろうか・・・「カルミナ・ブラーナ」ほどでは無かったけど、リズム感がかなり気になってしまった。