最近のコンサートから

(文中の敬称は省略しています)


 先日、3日間にわたってコンピュータの研修を受けた。MS-ACCESSの操作に関する研修であるが、一日6時間、3日続けて画面とにらめっこするのは、慣れているとは言え苦痛である。おまけに先生がアクセスの研修は初めてらしく、操作をよく間違えて研修が中断するからたまらない。ちょっと「ううむ」な研修だったけど、少しは操作方法を覚えたので、データベースの作成に役立てたいと思う。でも仕事でコンピュータをいじると、うちに帰ってまでさわる気はしなくなるなぁ。・・・と、そんな訳でホームページの更新が遅れております。今日は3回分のコンサートをまとめて、短く日記します。


●96/12/13 尾高忠明指揮の紀尾井シンフォニエッタ東京、第7回目の定期演奏会。弦楽オケが最初と最後に演奏し、その間の2曲がサクソフォン協奏曲というもの。この日の目玉はサックスの協奏曲だろうと思うけど、ソリストはこの筋では有名らしいクロード・ドゥラングルというフランスの人。サクソフォンという楽器にまともに対峙するのは初めてなのでどんな音がするのかと思ったけど、クラリネットを金管にしたような音だ。金管にしては柔らかく、木管にしては硬い。グラズノフのSax協奏曲はいまひとつ音が冴えなかったけど、日本初演となるマルタンの「バラード」の方はとても気に入った。1938年の曲らしいけど、悲しみ、静寂、対峙など様々な表現が盛り込まれていて飽きさせない作品だと思う。アンコールにはピアソラの「オブリヴィオン」。

 前後をはさんだのはメンデルスゾーンの「弦楽のための交響曲第9番」とドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」。いずれの曲もKSTらしい艶やかで張りつめた音が良かったけど、ただそれだけの演奏に終わってしまった感じ。それ以上の何かを指揮者に求めたい。



●96/12/14 コミッショーナ=都響の東京文化会館定期。コダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」は初めて聴いた曲だけど、おもしろい曲ですね。民族的なリズム感が豊かで描写的な音楽は、誰が聴いても解りやすい。途中で登場したチェンバロンという民族楽器はシンセサイザーで代用されていたけど、これはちょっと勘弁してほしい音だった。

 後半はオルフの「カルミナ・ブラーナ」。この曲は強烈な「リズム」と「官能性」という二つの要素を持っていると思うけど、そのどちらも駄目だった。まずリズムが重たいし、おまけに各パートで音がズレる。主役の合唱も不揃い。「官能性」を支えるはずのソプラノ・佐藤美起は急性気管支炎で出演不可となり、代役には新進の田島茂代が登場。しかしあまりにも声が細すぎる上に、高音が苦しくて冷や汗ものだった。救いだったのは五郎部俊朗と大島幾雄の安定した歌唱だけだった。



●96/12/16 巨匠・朝比奈隆の新日本フィル定期演奏会。曲目はなんとブルックナーの第3交響曲だけという超短縮プログラムである。いくらテンポの遅い朝比奈とは言え、改訂版では1時間少々がいいところ。まぁ、朝比奈にブルックナー以外のものを求める聴衆は少ないからこそ許されるプログラムである。

 まず朝比奈としては音の分離がよく、見通しがよい。相変わらずタクトでは打点が解りにくいけど、朝比奈の意図をくみ取って良い演奏に仕上げようという意気込みが見える。その反面、剛直で堅牢なイメージは後退してしまったけど、これはこれで良い演奏だったと思う。しかし第4楽章で各パートで音がずれて崩壊寸前に陥ったのは残念。開園後ちょうど1時間で終わるという、私が行ったクラシックのコンサートでは最短の演奏会だった。