デュトワ=N響「火刑台上のジャンヌ・ダルク」

(文中の敬称は省略しています)


●96/12/05 今シーズンよりN響の常任指揮者にシャルル・デュトワが就任した。モントリオール交響楽団=英DECCAの優れた録音で注目を集め、当代随一のオーケストラ・トレーナーと言われるデュトワが日本のオケの責任あるポストに就任したのだから注目しないわけにはいかない。すでにN響とは何回も共演を重ねているが、ドイツ系の色合いが濃いと言われるN響から鮮やかな色彩を引き出した演奏は記憶に新しい。N響は誰もが認める日本を代表する機能性を持ったオケである。しかし「やる気」が前面に出てこない演奏が多く、それゆえの批判も多かった。しかしデュトワが振ったときのN響は凄い。私個人としてはデュトワ=モントリオールsoのコンビではあく抜けしすぎで味が乏しい感じがしてあまり好きではないのだが、N響とのコンビでは私が聴いた範囲ではハズレはない。今後、N響がどのように変わっていくか、目が離せないと思う。

 この12月はデュトワ就任披露の定期演奏会で、聴きに行ったのはオネゲルのオラトリオ「火刑台上のジャンヌダルク」。N響ではかつて若杉弘が定期演奏会で演奏したけど、ナマで聴ける機会は非常に少ない。この秋にも日生劇場で演奏されたけど、残念ながら日本語上演だった。私個人としては大変好きな曲だったのだが、この曲は絶対に原語で聴くべきだと思っているので聴きに行かなかった。従って私もナマで聴くのは初めて。

 今回の上演は「ハーフ・ステージ」という形式で、高島勲によってオペラの上演に近い演出が加えられた。オケはピットの位置で演奏し、その後ろにステージが設けられ、さらに奥のスクリーンには様々なスライドが投影される。バイロイトのスタッフ(ギールケ)の協力の下で作成されたらしいが、確かにバイロイト様式に近い。しかしそれが効果的であったかは疑問である。

 日本での上演回数も少ない作品に演出や字幕が設けられたのは理解できるけど、フランス色濃厚な作品にバイロイト様式を持ち出してもそぐわない。動きも説明的すぎて、音楽の流れを視覚的に阻害しているのがみえみえ。背景に用いられていたスライド写真は、第一次世界大戦(第二次?)当時と思しきものもあって、ナチス圧制下のフランスとだぶらせる意図もあったのかもしれないけど、神の啓示を受けたジャンヌの神性を希薄なものにしてしまった。もっともこの作品が初演されたのは1938年、迫り来る大戦の緊張感の中での上演だったと伝えられている。近代の戦争とだぶらせるのは演出の意図としてあり得る方向だとは思うけど、この作品はジャンヌの神性と人間性の狭間を描き出す作品である。そこに過度な演出を持ち込むことは、本来の美しさを疎外してしまうのではないか。

 登場した声優陣はカナダのフランス語圏では非常に有名な人らしく、とても美しい語感と表情豊かなな演技を見せてくれた。ジャンヌ(ジュリー・ヴァンサン)の神性をもっと強調して欲しかったけど、ドミニク修道士(ギー・ブロフォ)の説得力あふれる声を見せてくれた。俳優・独唱も良かったけど、特筆すべきは二期会合唱団と東京少年少女合唱隊。私は外国語のセンスはまったくないのだが、CDで聴く本場のフランス語に近い語感を見せてくれた。かなりの練習の成果ではないだろうか。

 肝心のオーケストラは舞台の前にかすんでしまった印象。視覚が入るの耳が鈍感になるので詳細な評価はパスするけど、少なくともやる気はみなぎった良い演奏だった。第11場、ジャンヌが炎に包まれ、その手の鎖から解き放たれるとき、オーケストラも最高の高揚で迎える。この場面は何度聴いても感動するけど、ライヴならひとしおだ。音楽的に見た場合、非常に高い水準の上演だった。ただ演出はない方が良い。演奏会形式で聞き手のイマジネーションにゆだねる方が良かったと思う。