小松長生=日本フィル「20世紀の作曲家たち」

(文中の敬称は省略しています)



 このホームページが始まって以来、もっとも長い更新間隔となってしまいました。11月20日からかなり体調を崩して、仕事には行けない、有給休暇は減る、しかもコンサートのチケットは2回も無駄にしてしまいました。普段は、風邪ごときでは医者にはかからないのですが、こんなに長引いたことはないし、あまりにも頭痛がひどいので医者にいって検査してもらう始末だったのですが、特に異常も見つからずただの風邪だったようです。27日にはコンサートに行けるまでに回復し、久しぶりの更新となりました。(96/12/01)


●96/11/27 日本フィルの創立40周年を記念して始められた「20世紀の作曲家たち」シリーズの第3回目。日本フィルというと、以前は名曲シリーズばっかりで、いつも「新世界」と「展覧会の絵」を演奏しているイメージがあった。財政上の理由もあって、きちんと観客動員を確保しないといけないことは理解できるのだが、定期演奏会のプログラムを見ても前向きの姿勢が伝わってこないものだった。しかし今シーズンは違う。この11月にはゲルギエフを迎えて「サロメ」をやったり、来年も「愛の妙薬」を演奏会形式で上演するなど、オペラの方にも翼を広げている。そして、この「20世紀」シリーズだ。今年のテーマはショスタコーヴィッチで、4回の定期すべてにショスタコが組み込まれている。

 まず初めにオネゲル「パシフィック231〜交響的断章第一番」(1923)。表題は当時のアメリカ大陸横断鉄道の名前で、それを音で描写した約6分くらいの音楽である。蒸気や車輪の音が描き出され、それなりに面白い音楽。

 続いてショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲第一番で、独奏はチョーリャン・リン(林昭亮)。以前に朝比奈=N響の定期演奏会でベートーヴェンVn協奏曲を聴いたことがあるが、音色・音量とも申し分なく、構成も立派なベートーヴェンを聴かせてくれた。ゆえに大変期待して出かけたのだが、この日のチョーリャン・リンは意外なほど音が小さく線が細い。おまけに音楽が前に進んでいかない感じがして、もどかしいのだ。オケもそれにあわせたサポートをしようとしているように見えたが、結果としては独奏は埋もれてしまうところが多く、不満な演奏となってしまった。ショスタコのVn協奏曲は繊細な表現を求められる部分も多いが、それも躍動感や突進力などとのコントラストとして生きてくるのであって、全曲に渡って同じような表現では単調さは否めない。

 休憩後はハチャトリアンのバレエ組曲「ガイーヌ」。超有名な「剣の舞」を含む曲だけど、バレエとしては見たことがない。ちなみに私は「剣の舞」を生で聴くのは初めて。ハチャトリアンはとても民族色が豊かな曲を書いているけど、そのような色合いが乏しい点をのぞけば、まぁまぁの仕上がりになったと思う。最後に演奏された「レズギンガ」はロシアのオケがしばしばアンコールに用いる曲だけに比較してしまうのだけれど、やっぱり餅は餅屋だ。しかし、それはないもの強請りというものだろう。

 アンコールはプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」から「マドリガル」。日本フィルの特徴であるしなやかでビロードのような肌触りの弦楽器が美しい演奏だった。