ムツェンスク郡のマクベス夫人

(文中の敬称は省略しています)


●96/11/04 今年最後のオペラの引っ越し公演であるサンクトペテルブルグ・キーロフ歌劇場の上演が始まった。 93年の初来日では、「スペードの女王」「ボリス・ゴドノフ」「炎の天使」を上演し、素晴らしい水準の歌劇場がロシアに存在することを印象づけた。 とくに音楽監督、ゲルギエフの手腕には注目だと思う。音楽に対する集中度、燃焼度の高さ、オペラだけではなくコンサート指揮者としての水準の高さも実証済みである。 ボリショイ・オペラの凋落が著しいなかで、現在、ロシア・オペラの最高峰はこのキーロフ歌劇場であることは間違いない。

 今日の演目はショスタコーヴィッチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、 スターリン批判によって作曲家生命を脅かされるきっかけとなった問題作だが、今日は改訂前の初演版による上演。 明日は改訂版である「カテリーナ・イズマイロワ」も見に行くことになっているので、その比較もできるまたとない機会となった。 あらすじは、一言でいうと「不倫モノ」である。商人の妻カテリーナは、使用人セルゲイとの不倫関係のために舅ボリス、夫のジノーヴィを殺害してしまう。 そのことが発覚し、カテリーナとセルゲイは流刑となるが、セルゲイの心は他の女に移ってしまい、カテリーナはセルゲイの愛人を殺し自らも命を絶つ。

 この演目が日本で上演されたことは少ない。私は大野=東フィルによる演奏会形式で聞いたことがあるだけだが、きわどい描写が随所に現れる。 あの「炎の天使」をセンセーショナルな演出で上演したキーロフなら・・・、と思ったのだけど、18禁的なたぐいの演出はなかったのは残念!?。 しかし音楽的には素晴らしい水準だったと思う。ゲルギエフは舞台の隅々に至るまで神経を配り、抜群の統率力を見せた。 管弦楽は決して洗練された音ではないけれど、ゲルギエフのタクトに従ってひとつの生き物のように表情を変える。 悲劇性、官能的、そしてショスタコ独特のアイロニーに富んだ表現は歌手以上に雄弁。

 歌手ではカテリーナのゴゴレフスカヤは、初めは声が固かったものの、幕が進むにつれて声の表情がでてきて、まず不満のない出来。 セルゲイ役のセルゲイ・ナイダは、はまり役。急遽代役にたったボリス役のウラジーミル・ヴァネーエフも、老獪な舅を見事に演じた。 これだけの水準の「マクベス夫人」を日本で見られる機会は少ないだろう。 ましてや「初演版」「改訂版」を連続して上演し、その聞き比べが出来ることは今後ないかもしれない。

 この「マクベス夫人」は、20世紀オペラの最高傑作というキャッチフレーズがつけられることが多い。 少なくとも20世紀オペラ最大の問題作のひとつであることは間違いない。 残念ながら客席は空席も目立ったけど、スター歌手に頼らない上演の方が素晴らしい舞台に仕上がることが出来る証左になったのではないだろうか。