カルミナ・カルテット

(文中の敬称は省略しています)


●96/10/12 スイスの若き弦楽四重奏団・カルミナ・カルテットの演奏会で、カザルスホールは満員の盛況。 このカルテットの特徴は、音の純度の高さ。音の濁りの少なさ、ピアニッシモの美しさ、細い筆致の鮮烈さでは比類なき水準に達している。 逆に言うと、これは味わいの乏しさにつながってしまうけど、若い世代のカルテットに年代物の赤ワインのような芳醇さを求めるのはムリというもの。 さらりとした白ワインも、それなりの味わい方がある。

 曲目はベートーヴェンのSQ15番と、シューベルトのSQ14番「死と乙女」。 私はベートーヴェンの後期にはあまり馴染みがないので、自分なりの好みが確立しているわけではない。でもこーゆーサラリとした音の演奏は、好みが分かれそうな気がする。 ベートーヴェンなりの渋い味わいは濾過されてしまって、どこかに飛んでいってしまった。 とても上品なベートーヴェンとなったわけだけど、第3楽章のアダージョなんかとても純粋な祈りが込められていた。 新しい世代の描くベートーヴェン。

 シューベルトの「死と乙女」は歌曲がベースとなっているだけに、ベートーヴェンのような渋さが求められる曲ではない。それゆえ、安心して演奏に浸ることが出来た。 しかしこのカルテットの音の美しさをどう喩えたらいいのだろうか。音の線はとても細いのだけれど、その一本一本がきらきら輝いていて、宝石のような軌跡を描いていく。 その4本の軌跡が絡み合い、そして解け合いながらシューベルトの世界を描くのだけれど、精密なリトグラフを見ている印象。演奏中に地震があったけどハプニングはなし。表題性は後退してしまった感じはするけど、これはこれで見事としか言いようがない。

 アンコールの1曲目にはラヴェルのSQ第2楽章を演奏したけど、これはもう絶品。まるでこの曲はカルミナのために書かれた曲のようだ。 音がどんなに重なっても見通しが悪くなることは絶対にない。フランス的な曲を演奏させたら、このカルテットの水準を超えることを難しいのではないかと思う。 明日もこの演奏を聴けるのかと思うと、胸がわくわくする。


●96/10/13 カルミナは二日目もSOLD OUT! 曲目はベートーヴェンのSQ第3番とドヴォルザークのSQ第12番「アメリカ」、休憩をはさんでウェーバーのクラリネット五重奏曲(共演ポール・メイエ)。

 前半の演奏は、昨日とおなじ傾向。線の細いベートーヴェンと、ひたすら美しいドヴォルザーク。ドヴォルザークは民族的な旋律にかなり思い入れを込めて演奏していたけど。線が細いので嫌みにならない。 あえて欠点をあげれば、曲によって音色の使い分けが出来ていないので、音楽が一本調子になりやすい点だろうか。 きれいな音だけではだんだん神経が麻痺して、それだけでは満足がいかなくなり、音楽としての奥行きや欲しくなる。

 後半のウェーバーに登場したポール・メイエはClとしては引き締まった音で、カルミナとの親和性も良い。初めて聴いた曲なのでなんとも言えないけど、Clの聴かせどころは多いけど、カルテットとしては平板で聴かせどころなし、これじゃ面白さに欠けるんじゃなかろうか。 ウェーバーに関する限りちょっと退屈だったけど、アンコールで演奏したモーツァルトのCl五重奏曲第2楽章は弦とClの絡み合いがとても美しかった。アンコール2曲目は磯部叔の「遙かな友に」を演奏。

 ただ個人的にはどーもマチネは苦手だ。コンサートのほとんどは夜なので、昼間だと音楽に集中できないカラダになってしまったのだろうか。