まず最初はモーツァルトの交響曲第32番。弦楽器の音がいつもとちょっと違って、バロック的な音がする。リズムがきびきびしていて気持ちのいい演奏だった。続いてストゥッツマンの独唱でマーラーの歌曲集で「亡き子をしのぶ歌」と休憩をはさんで「子供の魔法の角笛(抜粋)」。
マーラーというとコテコテのオーケストレーションを施した交響曲を思い浮かべがちだけど、その元になったのは多くの場合、歌曲集だったりする。歌曲集はオーケストレーションは極めてシンプルであるにもかかわらず、やはりマーラーそのものの世界が表出する。ある意味では、贅肉を落としてマーラーのエッセンスが凝縮されているのが、「亡き子をしのぶ歌」「子供の魔法の角笛」だろう。
ストゥッツマンは、声量は乏しいけどたいへん深い声でマーラーの世界を表現してくれた。ステージサイドや裏の席に座った人の話では声が全然聞こえなかったという話だけど、私の座った2階Cブロックではきちんと聞こえたので、やはり声楽なら正面の席に限る。ストゥッツマンの声は、ドラマチックな表現とは全く無縁で、眉の動きで言いたいことを伝える名優タイプの歌手だと思う。オペラよりはリートで、大ホールよりも中小のホールで実力が発揮されるタイプで、フムーラもオケの音量を抑えて的確なサポートをしていたと思う。
ラストにはR・シュトラウスの「トゥラトウストラかこう語った」。これも最近の都響としては、各パートの音も磨かれていたし、かなりいい部類の演奏だった。フムーラの指揮は決め手には欠けるけど、奇をてらわない自然な流れの音楽には好感が持てる。しかし、この選曲はどうだろうか? マーラーの抑えられたオーケストレーションの後に、「トゥラトウストラ」というのはいささかデリカシーに欠けるんじゃないだろうか。この日演奏された3人の作曲家はオーストリアと縁が深いという点で共通項はあるけど、それ以上のものをこの日の演奏会で感じることは出来なかった。若杉時代のような絶妙のプログラミングは望めないのだろうか。(1996/09/28)