新日本フィルの「椿姫」

(文中の敬称は省略しています)


●1996/09/10 ネルソン指揮新日本フィルの上野定期でヴェルディ「椿姫」(字幕付原語上演)を聴く。「椿姫」は典型的なプリマドンナ・オペラで、スカラ座26年ぶりの上演で大抜擢されて注目を集めたファブリッチーニの成否が上演の水準を決定するといっても過言じゃぁない。しかしムーティ=スカラ座のビデオで見た限りでは、なぜ彼女が抜擢されたのか解らなかったし、昨年のスカラ座来日公演で同演目を歌ったけど、それを聴いた知人の話でも彼女の評判は芳しくない。一回券を買ってまで聴きに行きたいとまでは思わないけど、オケの定期演奏会に組み込まれていてそれが一回当たり1.800円ならお買得!

 演奏会形式といっても簡単な演出が加えられていて、テーブルや長椅子が用いられ、登場人物もそれなりの動きがある。厳密にはハーフステージとかセミステージと言った形式になるのかもしれない。いくら東京でもオペラ人口は限られているので、オケの定期演奏会では初めてオペラに接する人も多い。そーゆー人への配慮として演出を加えるのも必要だと思うけど、結果的にはマイナス面も多かったんじゃないだろうか。と、いうのも歌手が歌う位置が指揮者よりも前、つまり観客寄りなので、指揮者と歌手はお互いが見えない。ときどきお互いに振り向いてキューを確認していたりするのだけれど、音楽の流れがぎこちなくなった原因の多くは中途半端な演出を加えたことによるのかもしれない。とにかく管弦楽の出だしから音楽が流れていなかった。

 歌手では、やっぱりファブリッチーニに不満を持ってしまった。たしかに特定の音域ではとても美しい声を聴かせてくれるのだけれども、それ以上のものがない。声の音域でのつながりが悪く、歌い口の滑らかさが感じられないのだ。アルフォレードのマーティン・トンプソンも、始めはまったく声が出なくて、特に高音域は苦しい。ジェルモンも声が軽くて威厳がない。とにかく歌手に関しては聴くべきものに乏しかった。

 オーケストラはそれなりの健闘は見せていたけど、指揮者と歌手が手探りで音楽を造っていた感じで噛み合わないこともしばしば。音楽が流れはじめたのは休憩後の第3幕に入ってからで、歌手もようやく聴けるようになってきた。しかし結核で苦しむヴィオレッタをうまく演じるだけではダメで、第一幕、第二幕の「喜・怒・楽」があってはじめて第3幕の「哀」が生きてくるんじゃないだろうか。脇役を固めた日本人歌手と合唱の東京オペラシンガーズは充実していたのが救い。

 ところで、NJPは97年10月より「すみだトリフォニーホール」をフランチャイズに活動することが決っているけど、新定期の方針が決ったようだ。それによると「すみだ」で月2回のA・Bプログラムの定期を持つかわりに東京文化会館(上野)の定期は廃止、オーチャード(渋谷)は月1回を継続し「すみだA・B」どちらかのプログラムを採用するとのこと。ちなみに東京文化会館は98年4月から全面改修のため1年間閉館となる。NJPは新たなホールを得て、現在、東京でもっとも恵まれた環境を獲得する。それに見合う演奏水準の向上を期待したい。