こんさぁと日記(1996年5月)


●1996/05/30 ハンブルグ歌劇場「タンホイザー」を見にNHKホールに行ってきました。この演目は、今回の来日公演の目玉とも言えるはずなのに、平日のせいか会場は空席が目立つ。だいたい7割程度しか入っていないんじゃないだろうか。これじゃ「コシ」や「リゴレット」も前の方の席に移れるかも^^;。さて、公演の方はやっぱりコロちゃんの独壇場であった、と言うべきだろう。この人はリートでも巧いけど、やっぱりワーグナーが良く似合う。適度に脂がのって艶っぽい声は最盛期ほどでは無いかもしれないけど、今回のキャストの中ではぴか一だったと言って間違いない。次いでエリザベートのナディーン・セクシデも、張りがあって艶やかな美声を披露。対してヴォルフラムを歌ったアンドレアス・シュミットは、歌合戦でも「夕星の歌」でも、歌になっていなかったと思うのだが…^^;。この人が歌うところは眠くて仕方がなかった。

さて、もう一つの注目は、クップファーの現代的な演出。登場人物の衣装は、中世のそれではなく現代人のトレンチコート姿であったりタキシードであったりする。ヴェーヌスはかなり人間臭く描かれているのと同時に、エリザベートも感情的な人間味のある女性として描かれているあたりは、現代に問題を引き寄せて演出をしているせいだろう。第1幕のえげつないヴェーヌスベルクの場面は、解説には「ハンブルグの歓楽街が舞台上にあらわれたかのよう」(岡本稔氏)と書かれていたが、ハンブルグの夜はこんなに凄いんだろうか^^;。この退廃的な世界と現実の世界が、2枚の大きな壁面で仕切られていて、タンホイザーはこの扉を行き来する訳である。演出された1990年当時は、ベルリンの壁崩壊のあとであり、舞台上の壁はそれを象徴している。またローマへの巡礼も、東から西に移る人々を象徴しているようだ。

今日の公演の問題はPAだ。もともとハンブルグ歌劇場は1600人あまりの劇場であり、NHKホールとは比較にならない大きさである。このオケがNHKホールでまともに演奏するのは無理であり、なんらかの電気的補強をするのは理解ができる。しかし今日のPAはいささかやりすぎではないだろうか。ここまでやられるとオケや歌手のまともな評価が出来ない。あと皇太子のせいでわざわざ入口を遠回りさせられたのも不愉快。


●1996/05/25 鏡倉芸術館で行われたパメラ・フランクのヴァイオリン・リサイタル。実は友人からタダでもらったチケットで行ったのだが、久々に聴く充実したリサイタルだった。曲目はオール・シューベルトでシューベルト:ヴァイオリンソナタD.574、幻想曲ハ長調 D.934、ヴァイオリンソナタD.408(ソナティナ第3番)、華麗なロンド D.895の4曲。 まず音色だが、硬質の引き締まった音に適度な艶と潤いがあり、実に良い。前半は一階4列目、後半は2階後部で聴いたのだが、よく通る音質で音圧にも不足はない。それ以上に感心したのが表現力。彼女は決して過度の感情移入をすることなく音楽を進めていくのだが、微妙にかけるヴィブラートや旋律の動かし方の中に緻密に内容を盛り込んでいく。テクニックも決してこけおどしではなく、低音から高音までの音のつながり、音楽としての安定感も見事だ。それがとても知性的な美しさをたたえたシューベルトになってホールを満たしていく。はち切れんばかりの情熱や超絶的なテクニックを求める向きには物足りないコンサートだったかも知れないが、最近の若手女流ヴァイオリニストとは一線を画す魅力を感じた。伴奏は父親であるクロード・フランクだったが、さすがに呼吸はピタリ。アンコールにはブラームスのVnソナタ第2番第2楽章とバッハのソナタハ短調第1楽章だったが、どちらも絶品。特にブラームスの抑えた表現の中に盛り込まれた情熱には心を打たれた。今度来日したときには、ぜひともブラームスの3曲を聴きたい。


●1996/05/23 今日は小泉和裕=都響のA定期だったが、仕事多忙につき一曲目のベートーヴェンの交響曲第8番は聞き逃してしまった。上野駅を降りて急いで文化会館に入ったらちょうど休憩時間が始まったところで、後半のプログラムはなんとか大丈夫でした。まずはショパンのピアノ協奏曲第2番で、ダン・タイ・ソンがソリスト。彼のピアノを聴くのは初めてだが、硬質ながら何処かふくらみも感じさせる音。音色はそれほど多彩でも飛び切り美しいわけでもない。でもショパン独自の、まどろっこしささえ感じるロマンチックな旋律をなかなか綺麗に聴かせてくれた。しかしサポートが良くない。この曲に必要な、繊細な雰囲気やピアニッシモの美しさがほとんど聞き取ることが出来なかった。ショパンの協奏曲はなんだかんだの解釈より音の美しさのほうが遙かに大事だと思う。次にR・シュトラウスの「ティル」。R・シュトラウスは小泉が得意とするレパートリーらしく、ダイナミックに聴かせてくれた。大きなミスもなく、音もそこそこ綺麗に決まっていたが、やはりもう一ランク上の演奏を望みたい。ここでもピアニッシモの音の美しさが大事だと思う。ダイナミックレンジの広さを出すには、でかい音を出すよりも、小さな音を密度を高く、そして美しく聴かせることの方がはるかに効果的なんじゃないだろうか。そしてそれが各パートが綺麗に分離して美しいアンサンブルを築く基礎になるのだと思う。来月の定期で登場するケーニックはその点ではなかなかの腕前の指揮者で、特に「トゥーランガリラ」は注目だ!(^_^;)


●1996/05/22 今日は新人の横山恵子がタイトルロールを歌う「蝶々夫人」。さすがに3回も続けて同じ演目をみると疲れるが(^_^;)、歌手に応じてさまざまな蝶々さんが描き分けられているのが解るのは楽しい。横山恵子は「喜怒哀楽」のうちで「喜」「楽」の表現が出来ていないのと、声の硬さや歌い回しの滑らかさで問題は感じたが、なかなか立派な蝶々さんを演じきったと思う。新人とは思えない出来…・いやヨーロッパではそれなりの活動はしているとプログラムには書いてあったので厳密には新人ではないと思うが、硬質で良く通る声は将来性を感じさせる。容姿から言っても15歳という年齢設定もそれほど無理を感じさせないんじゃないだろうか。ピンカートンやシャープレスも昨日の咆哮的な歌唱とはうってかわって、聞苦しさは感じなかった。はっきり言って、今日の第2キャストの方が満足で、値段が安いことも考え合わせればお買い得な公演だったんじゃないだろうか。しかし、昨日もそうだったが、管弦楽はもう少し健闘して欲しかった。プッチーニの精緻な管弦楽を、透き通るような音で聴かせて欲しかったし、縦の線は小澤の得意とするところだが、横の線の滑らかな繋がりが足りない感じがする。ちなみに来年5月は「魔笛」を上演するそうだ。


●1996/05/21 小澤征爾=NJPの「蝶々夫人」を見に東京文化会館に。今週は3回も「蝶々夫人」を見る事になるのだが、小澤人気で会場はダフ屋がでるほどの満員。今日のタイトルロールはキーロフ・オペラの「炎の天使」で注目を集めたゴルチャコワだが、結論からいうと彼女はミスキャストじゃないだろうか、蝶々さんの声としてはあまりにも重すぎる。第一幕の登場のシーンで、丘を上がってくる合唱の声から完全に浮き上がっているし、15歳という可憐さも声から感じることができないんじゃ個人的に抱いているイメージからかけ離れてしまう。演出はミラノ・スカラ座で現在も上演が続けられているという浅利慶太のもの。蝶々やスズキも外国人歌手であるにもかかわらず動作の繊細さはたいしたものだと思うが、演出として一環とした主張が希薄と言わざるをえない。さまざまなシーンの美しさや細やかな息遣いを感じることはできても、なにか物足りない。オリエンタル趣味の外国人が喜ぶ演出ではあるかもしれないけど、今、日本で上演する意味がある演出だろうか? そう言いながらも、明日も横山恵子の蝶々さんを見に行くのだ(^_^;)。


●1996/05/20 クリヴィヌ指揮リヨン管弦楽団。この指揮者は以前に都響に客演してモーツァルトを振ったときに注目し、94年には幻想交響曲の凄い解釈で圧倒されてしまったので、今回も聴きに言ったというわけ(^_^;)。さて今年の演奏はというと、前半の「牧神の午後への前奏曲」「スペイン交響曲(vn加藤知子)」は、どうも集中できない。ホール内を飛んでる虫がいて、「あの虫はどこから来て、そして何処へいくんだろう…・」とか考えていたら曲が終わっていたのだ。

しかし後半の「展覧会の絵」はなかなか面白かった。これを国内のオケが演奏すると、手垢にまみれてしまった「名曲」になってしまうのだが、クリヴィヌの手にかかるとその鋭いタクトさばきにオケがものの見事についてくるではないか! どの瞬間も緊張感に溢れていて聴いている方も気が抜けない。前回の幻想のように変わった解釈はあまり見せなかったが、けっこう楽しめた演奏だった。そんなに巧いオケではないし、洗練された響を求める向きには物足りないかもしれないが、巧いオケを聴くだけがライヴの楽しみじゃない。こーゆー演奏もいいものである。


●1996/05/18 「蝶々夫人」(オーチャードホール)を見に行く。昨年、デイビット・バントニーが前衛的な演出をして話題を呼んだが、その再演。昨年は第1幕愛の場面の洋装の下着姿や、第2幕のうらびれたアパートのような家。時代も戦後に移されたような演出にかなり疑問を持ったが、こうして2回目になると理解できてくるのが不思議だ。ブーレーズ=シェローの「リング」初演がブーイングの嵐だったのが理解できるなぁ。

普通の版と違い、完全な「ミラノ初演版」での上演。蝶々さんが自立した女性として強調される一方、ピンカートンはより偏見と差別を持った男性して強調されている。今年は「第2キャスト」(^_^;)の島崎智子のタイトルロールを見たのだが、去年のチェン・スー(陳素娥)とはかなり趣が違う。声は良いものの「大陸的」で繊細な表現に欠ける陳よりも、島崎のほうがはるかに蝶々さんに向いているように感じた。昨年感じた演出に対する疑問も、実は歌い手に対する疑問だったのかもしれない。スズキの与田朝子、ピンカートンの持木弘、シャープレスの牧野正人も好演してなかなかの水準に仕上った。若杉=東フィルもまぁまぁだったが、ピアニッシモにもう少し洗練された美しさが欲しかった。それにこの指揮者は、やっぱりドイツものを振っている方が合っていると思う....(^_^;)。


戻る