上演は、演奏会形式ではあるけれど、オケの後方にステージが設けられ、可能な限り舞台上演に近いかたちで演出が加えられていた。簡素でありながらストーリーの魅力を充分に伝える演出は好感が持てる内容。原語による上演だったけど、この演目だったら日本語上演でもそれほど違和感は感じないだろうと思う。歌手ではグレーテルを歌った天羽明恵と魔女の関定子、ペーターの多田羅迪夫が良かった。天羽の声は細くて声量は必ずしも充分ではないけれど、声のつながりに滑らかさ、美しさは見事で、表現力はグレーテルにピッタリ。関定子も裏声を巧みに使った見事な魔女ぶりで、多田羅の声も陽気な父親役に好適なものだった。その他の歌手も、それぞれの役割を充分に担っていたし、児童合唱もレベルとしては決して低くはなかったと思う。
オーケストラは、少なくともNJPがトリフォニーに移ってから一番の出来だったと思う。NJPで一番問題だと思うのは「金属的で余裕のない音」だと思うのだけど、この日のNJPは歌手をメインに考えてセーブした音量の中に、自らの主張を凝縮させていった感じがする。ワーグナー譲りのライトモチーフによる音色の変化も堪能できたし、歌手との共演が良い意味でNJPに刺激を与えたんじゃないだろうか。若杉の指揮は細かく振りすぎて音楽が歌わないという指摘が多いけれど、この日のタクトは良い面の方が上回った。演奏会形式という限定された上演だったけど、それが決してデメリットにならない上質の「ヘンゼルとグレーテル」だった。「第九」だけじゃなくて、このような上演がNJPの12月のレパートリーになれば、東京のオケの中で個性を発揮できるんじゃないだろうか。