神奈川芸術フェスティバル

「蝶々夫人」

(文中の敬称は省略しています)


●97/12/07 神奈川芸術フェスティバルの一環として行われたプッチーニの「蝶々夫人」を見るために、神奈川県民ホールに行って来た。「蝶々夫人」は、たぶん私が一番たくさん見た演目だろうと思う。このオペラの舞台が日本の長崎であり、登場人物の多くが日本人ゆえに、日本の歌劇団にアドバンテージがある演目である。それだけに多くのプロダクションがあるが、今回の演出を担当した栗山昌良も以前に川口リリアホールのオープニング・シリーズで「蝶々夫人」を演出した経験があり、また来年の新国立劇場でも同演目の演出を担当することが発表されている。今回の演出が新国立劇場と同じものなのかどうかは解らないけれど、ひとつの目安にはなるだろう。で、今日の出演キャストは・・・  まず演出。詳細な記憶はないけれど、リリアホールの時の演出とほとんど同じものだろうと思う。栗山らしく美しい舞台装置と照明を駆使して、オーソドックスな舞台を作り出す。まぁ手堅い演出といえば手堅い演出なのだろうけど、数多くの斬新な演出が登場した今となっては明らかに物足りなさが残る。いや、オーソドックスな演出としても、ちょっと残念な出来じゃないだろうか。

 なによりも栗山の演出は全てを綺麗にまとめようとしすぎて、登場人物の人間くささ、人間像が不明確になってしまっている点である。たしかに大きな屏風を背景にして、適度に抽象化・簡略化された舞台装置は美しい。しかし第2幕の蝶々さんの家の中、貯金を使い果たしたにしてはあまりに美しすぎて生活感がない上に、背後に飾っているいかにも値段が高そうな洋風の花がウソっぽい。ハミングコーラスが終わって第3幕への間奏曲はプッチーニらしい非常に美しい音楽だけど、このシーンは演出家の腕の見せ所のはず。しかし栗山は幕を閉じてしまった。三谷礼二の演出では蝶々さんの少女時代が走馬燈のように浮かび上がり、井田邦明の演出では睡蓮の花を投射して蝶々さんの生涯を暗示した。バウントニーの演出は赤い傷口がスクリーンに浮かび上がり、蝶々さんはその向こうの坂道を上がっていくシーンを、間奏曲の間に演出していた。この間奏曲は蝶々さんの悲劇性を暗示する音楽であり、その音楽が全てを物語っていると言えなくもないけれど、わざわざ演出の見せ場を放棄することもあるまい。

 第3幕の夜明けのシーンでは、シャープレスが入ってきたら急に舞台が昼間のように明るくなってしまって興ざめ。このシーンは夜明けの薄暗さが必要ではないか? あと第1幕の結婚式のシーンで、蝶々さんはレースの薄いヴェールを被っていた。これってクリスチャンのスタイルじゃないの? 少なくとも蝶々さんは親戚には改宗したことを隠しているのだから、このヴェールは変じゃないのかと思った。総じて、人間のドラマとしてのリアリティに欠けているのである。たしかに登場人物の動きには細やかな神経が配られているのだけれど、最も肝心なところが抜けている。蝶々さんが自害するシーンもあっさりとしているし、ピンカートンも悪者っぽくない。物語がすーっと流れてしまうような感じで、死に至る必然性が伝わってこない。はたして栗山はこの演出を通じてどのような人物像を描こうとしているのか、少なくとも私には伝わってこなかった。

 そして管弦楽は、この日の舞台で一番の問題点だった。第一幕では、オケが走りすぎて歌手との呼吸が噛み合っていなかったし、音譜を音にするのが精一杯で、音楽がぜんぜん歌っていないのだ。音楽に起伏をつけようとしているのかもしれないけれど、鳴らし過ぎて歌手の声が埋没してしまうことも多く、明らかに歌手の足をひっぱている。オペラの伴奏としては失格だ。音の美しさも伝わってこないし、管弦学的な表現、歌手との呼吸も不満だらけである。この責任は、神奈川フィルにあるというよりも、明らかに指揮者にあるだろう。

 歌手は、佐藤ひさらが素晴らしい。ハッキリ言ってこの日の舞台は、佐藤ひさら一人に支えられていたといって間違いないと思う。94年の藤原歌劇団の「蝶々夫人」で衝撃的な登場をして、そのとき以来、私は佐藤ひさらが現代最高の蝶々歌いだと思ってきたけれど、やっぱりこの日の舞台でそのことを改めて実感した。声量は今一つだけど、彼女の動き・表情はまさに蝶々さんそのものだ。演出はイマイチだし、管弦楽に足を引っ張られ、第一幕では調子が今一つだったけれど、彼女がこの日のステージにいなかったらさぞかしヒドイ舞台になっていただろう。残念ながらピンカートンを歌った小林一男は不調で、声が響いてこない。シャープレスを歌った勝部太もいつもと比べて声量に乏しく説得力・存在感が希薄だった。スズキを歌った寺谷千枝子はまぁまぁ、合唱の東京オペラシンガーズはいつも通り素晴らしい合唱を聴かせてくれた。


 で、12月7日は、ベルリン・コミーシェ・オーパーの発売日。さすがに座席が少ないオーチャードホールで、公演数も少ないために、値段の安いC・D券は10時20分位には売り切れになってしまったようだ。私はやっとの事で「こうもり」のD席一枚を手に入れたけど、「ホフマン物語」は取れなかった。クプファーの演出は楽しみなんだけど、19,000円はチト高い! この公演って、座席ランクの格差が大きすぎません?(^_^;)