朝比奈=NJP」の「第九」

(文中の敬称は省略しています)


●97/12/05 年末の「第九」は、日本の風物詩、恒例行事みたいになってしまったけれど、私はほとんど「第九」に出かけたことがない。自分でチケットを買って年末の「第九」を聴きに行ったのは僅かに3回だけ。年末以外にも2回ほど聴いた記憶があるだけである。私はベートーヴェンの「第九」は、音楽史を代表する名曲中の名曲だと思うけど、年末にあれ程まで大量に生産されるのを見ると正直言ってウンザリする。慣れている合唱団ならほとんど練習なしでステージに上がれるし、財政状況の厳しいオーケストラや歌手の数少ない収入源になっていることは理解する。しかし、いくら大名曲といえども毎年毎年、恒例行事のように演奏していては演奏する側も身の入った演奏が出来るのだろうか? 私は天の邪鬼な性格なので、余程のことがない限りこの時期には基本的に「第九」は聴きに行かないようにしている。ただ定期演奏会に「第九」が組み込まれていると、聴きに行かざるを得ないのだけれど・・・・・。

 朝比奈の「第九」ということで「チケット求む」も現れたけど、個人的には不満の多いコンサートだった。このホールでNJPを聴くのは5回目になるけれど、オケはまだホールの音響をつかみきっていないような気がするし、私自身も、このホールの音がホントに良いのか悪いのか・・・解らなくなってきた。というのも、この日のNJPの音は、やたらと金属的な響きが耳についたからである。アンプのトーン・コントロールで高音をブーストしたかのような音で、朝比奈特有の重心が低く骨格が太い音は最後までほとんど聴くことが出来なかった。特に弦楽器の潤いに欠ける音と低弦の力不足は残念だったし、ピッコロの金属的な音が異常に大きく聞こえてきたのは耳が疲れる。ステージ前方の楽器よりも後方の楽器の方が良く通るみたいで、金管やピッコロなどが鳴ると他の全ての音をかき消してしまうのだ。リアルな音を聞かせてくれるホールだれど、落ち着きとかやわらかさ、潤いなどは全く感じられないのは非常に不満である。

 合計170人の大合唱団は男声4割、女声6割。たぶん晋友会よりも地元の合唱団の方が多いのだろう。しかし声が大きいだけで、表現力はまだまだ。墨田区に密着したオケとして地元の合唱団を育成するのは方向は間違っていないと思うけと思うけど、成果が結実するまでにはまだまだ時間がかかると思う。独唱も、十分な声量を持っていたのは多田羅迪夫だけ、しかし歌い廻しにぎこちなさを感じたし、全体として聴くべき者に乏しかった。ときおり朝比奈らしいスケールの大きい表現も聞き取れるのだけど、残念ながら音の骨格が出来ていないので内容には疑問符を付けざるを得ない。かなり鳴らし方が難しいこのホールを、NJPはどのように使いこなしていくか・・・今後の課題は大きい。