新国立劇場「ローエングリン」

(文中の敬称は省略しています)


●97/11/24 「建-TAKERU-」で波乱の幕開けとなった新国立劇場のオープニングシリーズ第2弾は、バイロイトのW・ワーグナーを演出家に迎えての「ローエングリン」の上演である。彼自身、ローエングリンは4回目の新演出で、合唱指揮も衣装もバイロイトから人材を呼び寄せた。いわばバイロイトから輸入した「ローエングリン」の公演、私が聴きに行ったのはその3日目の外国人キャストの日である。

 まず注目の演出から。私自身はこの演目をナマで見るのは初めてなので、他との比較はしにくいのだけど、基本的にはオーソドックスな演出である。W・ワーグナーは以前にバイロイト東京公演の「タンホイザー」を見たことがあるけれど、それほど豪華な舞台装置にこだわる演出家ではない。色彩感は地味だし、舞台装置はそれほど使っていない。豪華な舞台装置を期待する向きには不満かもしれないけど、まぁ、W・ワーグナーならこのような路線になるのは仕方がないだろうと思う。

 ただ第1幕と第3幕2場は同じ舞台装置が使いまわされていたけれど、ちょっと安っぽすぎるし、第2幕と第3幕第1場は舞台前半分しか使っていない。舞台の使い方では、工夫の余地が大きいような気がする。第1幕でローエングリンが白鳥に曳かれて登場するシーンは、背後に白鳥の羽のような巨大なモニュメントがせり上がり、群衆が左右に分かれると、せり上がってきたローエングリンがそこにいたという設定。このモニュメントが何者なのか解りにくいし、前評判の割には意外性がない。演出に関しては見るべきものに乏しい。はっきり言って使い古された手法しか見ることが出来なかった。衣装はそれなりに重厚な感じがするし、と照明はなかなか効果的な感じがしたけれど、わざわざバイロイトから人材を呼んだ割には「この程度のものなの?」っていう感じだ。何でもかんでも新しければ(斬新ならば)良いとは言わないけれど、新しい器に注ぐ酒としては、あまりにも古すぎる。

 歌手も、前評判からすると明らかに期待はずれ。国王のゾーティンは、意外なほど声が伸びなくて存在感が希薄。ローエングリンを歌ったボンネマは、容姿はなかなか格好いいけど、声はややウェットな感じ。声がステージ上に滞留しているような感じで、客席に直線的に飛んでくるような感じがしないのだ。急な変更でかわいそうな面もあるのだけれど、この日の声を聴く限りはヘルデン・テノールのイメージではない。エルザも語り口が重くて、イライラする。対する悪役はなかなか良くて、テルラムントを歌ったケテルセンが良かった。語り口の巧さはこの日のキャストの中では一番で、謀略を策す心理、失敗して挫折する心境が、余すところ無く表現できていた。オルトルートは、ちょっと声を張り上げすぎるのが気になったけど、存在感は強烈で、歌手では一番の拍手を集めていた。合唱は人数を揃えた割には、声が飛んでこない。

 若杉弘は日本のワーグナー演奏史において欠かせない指揮者であるけれど、この日の演奏は歌手とのズレが目立った。これは語り口の重い歌手に責任があるのか、指揮者に原因があるのか解らないけど、舞台をきちんとまとめるべき人物が不在だった感じ。オケの東フィルは、長大なオペラ3連雀だったわりには非常に良い演奏で応えていたけど、音楽全体としてはワーグナーの魅惑的な世界を体現できていたかというと疑問である。全体的に見て、・・・・個人的には演出・オケはほぼ想像通りの出来、歌手は予想以下だった。「建-TAKERU-」と比較するとワーグナーの音楽は比較にならないほど優れているのであまり退屈はしなかったし、部分的に良いなぁ・・・と思うところもあったのは事実だけど、日本初のオペラ・ハウスのオープニング・シリーズとしては明らかに物足りない内容だった。