ベルリン国立歌劇場「ヴォツェック」

(文中の敬称は省略しています)


●97/11/22 個人的に、20世紀オペラの問題作と言って思い出すのはショスタコーヴィチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(カテリーナ・イズマイロワ)と、このアルバン・ベルグの「ヴォツェック」である。いずれも主人公を大衆レベルに引き下げ、深く鋭い心理描写を特徴とする。聴きやすいメロディーとかアリアは皆無に等しく、性的な心理描写も含めて人間の心を歌手と管弦楽が余すところなく浮き彫りにしていく。その音楽は従来の古典的なオペラとは明らかに一線を画す。人によっては強烈な違和感も感じるだろうし、挑発的かつ刺激的でもある。しかし、どちらの作品もツボにはまれば実にドラマチックなオペラに仕上がる。オペラの可能性を広げたオペラだ。このベルリン国立歌劇場の「ヴォツェック」を見て、改めてそう思った。この「ヴォツェック」、たぶん今回の来日公演の中では一番良い出来だったんじゃないだろうか。  物語は、床屋上がりの兵士ヴォツェックが、妻マリーの浮気を責めて殺し、自らも精神を病んで沼で溺れてしまうという悲劇的なストーリー。救いのないこのオペラで一番大事なのは「演出」かもしれない。少なくともベルリン国立歌劇場の舞台では、パトリス・シェローの演出が目覚ましい効果を上げていた。このオペラは全3幕、休憩なしで約100分間、まさに息をもつかせぬ緊迫のドラマの連続である。舞台上の特徴から言うと、ピットの左側には「歩道橋」が架けられ、登場人物が客席からあらわれることによって観客と舞台との一体感を強めている。舞台装置は、2.5m四方くらいのキュービック(正六面体)など舞台上を移動して家になったり酒場になったりする。簡素で抽象的ではあるけれど、イマジネーション豊かでスピーディな舞台展開は緊迫感を高めるのに効果的だ。

 なによりも演技が徹底されていて、オペラを見ていると言うよりも演劇を見ているような錯覚に捕らわれる。ふつう第一幕第一場は、ヴォツェックが大尉の髭を剃っているシーンで始められるけど、シェローは台本のそれを無視して、大尉が舞台全体を動きながらヴォツェックに説教をしているシーンに改めた。これが実に効果的で、せかせかと動き回ることによって理不尽な言動をする大尉のキャラクターがより強調されている。大尉は、ヴォツェックを抑圧するものの象徴なので、このキャラクターを出だしで強調する意味は決して小さくない。第三幕で、沼でヴォツェックがマリーを殺すシーンでも、ヴォツェックが妻を愛するがゆえの憎悪がナイフに乗り移っているのがよく解る。天井から黒い幕が降りてきて、それが沼に見立てられるのだけど、スピーディで鮮やかな展開。ヴォツェックが沼地に飲み込まれるシーンも迫真の出来だった。

 歌手、管弦楽とも、ほとんど文句のつけようがない。今回の4演目の中では、最も緊張感の高さが伝わってきた。日本ではなかなか上演される機会も少ないし、私自身もナマで見るのは初めてなのだけど、ベルグの鋭角的で劇的な音楽が、20世紀オペラの最高傑作であることを改めて証明した一夜だろうと思う。8年前の来日と比べてると、ベルリン国立歌劇場はまるで見違えるようだ。今回は4演目とも一番安い券で聴けたので合計32,000円の出費だったけど、これは5月のMET「カヴァレリア&パリアッチ」の1演目を見に行ったときの値段とほぼ同じ。満足度では、ベルリンの方が圧倒的に上だ。