ロストロポーヴィチ=NJP

(文中の敬称は省略しています)


●97/11/05 10月の定期からすぐに11月の定期に突入したけれど、小澤に続いてトリフォニー定期に登場したのはロストロポーヴィッチ。小澤は「トリフォニー」というホールの名前について「訳の解らないカタカナ」として批判しているけれど、ロストロの指揮者としてのポジションである「フレンド・オブ・セイジ」というのも「トリフォニー」に負けないくらい訳が分からんぞ。

 Bシリーズは親しみやすい名曲を中心にプログラミングされているけれど、11月はチャイコフスキー・プログラムで交響曲第4番、「くるみ割り人形」組曲、大序曲「1812年」というもの。ロストロポーヴィチのチェリストとしての実績・評価は定着しているけれど、指揮者としての評価は分かれる。タクトさばきは、素人目に見ても巧いとは思えないけれど、一種独特な濃密な表現がある。交響曲だ4番なんかは第4楽章の途中で突然タメを入れたりしたけど、個人的にはあまり好きなアプローチではない。チャイコフスキーは様々なメロディが美しい曲ではあるけれど、音楽的な内容は決して深いとは言えない。私としては流麗で迫力ある交響曲第4番を聴きたかったのだけれど、その意味ではちょっと物足りなかった。

 休憩後は「くるみ割り人形」組曲。たぶんチャイコフスキーの管弦楽曲の中では最高傑作だろうと思う。内容的深さはないけれど、宝石のようにきらめく美しいメロディの連続。バレエ公演の会場で聴くと、音楽がダンスによって歪められてしまうけれど、このようにコンサート会場で聴く「くるみ割り人形」はまた格別である。久しぶりに聴く純管弦楽の「くるみ割り人形」はとても楽しめたけれど、どうしてもロストロポーヴィチの音楽の呼吸には違和感を覚えるところがある。

 最後は大序曲「1812年」で、チャイコフスキー自身も認めるように、どう考えても駄作としか思えない作品。ナマで聴くのは初めてだけど、やっぱり駄作だ。CDが出始めてオーディ青がブームだった頃は、この大砲の音をきちんと再生できるかどうかマニアはこぞって競ったものだけれど、コンサート会場ではもちろんバスドラムで代用される。PAで音を補強していたけれど、リアリティはイマイチ。鐘の音も録音したものをPAから流していたけれど、かなり変な音で興ざめ。やっぱり、また聴きたいと思うような曲ではないなぁ。