新国立劇場の「眠りの森の美女」

(文中の敬称は省略しています)


●97/10/28 新国立劇場のバレエ・オープニングという記念すべき公演に取り上げられたのは、チャイコフスキーの「眠れる森の美女」。オペラのオープニングで「建・TAKERU」を上演したときにも、私は酷評を書いたけれど、今回の「眠りの森の美女」はそれ以下でほとんど絶望的なレベル。。私はバレエに関してはぜんぜん詳しくないので偉そうなことは書けないけど、新国立劇場のバレエはオペラのそれに輪をかけて酷い。

 まず今回の公演は、ロシアのマリインスキー劇場(キーロフ・バレエ)の舞台をそのまま新国立劇場に持ち込んだもの。舞台装置・衣装はキーロフ・バレエに作らせて、振付家もキーロフから呼んだのである。そこでまず思ったのは、新国立劇場のオープンで、完全に海外のバレエをそのまま「輸入」するというセンス! はっきり言って新しいものを創造しようと言う意欲が全く感じられない。別に国内の人材にこだわる必要はないと思うけれど、新演出・新振付を採用して、新しい劇場の方向性を示すのが筋だろう。オペラでウォルフガング・ワーグナーやゼフェレッリを演出家として招聘したのも問題だと思うけれど、少なくとも「新演出」という話なのでまだ理解は出来る。しかしバレエの首脳部のセンスは全く私の理解能力を遙かに超えた酷さだ。

 それでも重厚でキーロフらしいエレガントな舞台を見せてくれれば、まぁ、そこそこ納得も出来るけれど、これがまた酷い。まず舞台装置だけれど、従来の国内のバレエ団が用いている水準とほとんど変わらないレベル。プロローグからベニア板らしきものに色を塗っただけの軽薄なシャンデリアが出てきたのにはビックリ。その他の柱やカーテンも全部ペインティング。背後におかれた噴水はちゃちでの無意味。むしろ水音が音楽の邪魔になっていて不愉快極まりない。おいおい、ホントにキーロフと同じ舞台装置なの? 私が以前にビデオで見たときとは全然違うと思うぞ。キーロフにいくら払ったのかは知らないけれど、完全にぼられているとしか思えない。新国立劇場の4面舞台を使う必要はない。また衣装も酷い。国王の衣装なんかはアニメ・オタクのコスプレの方が遙かに優れている。国王らしい重厚な感じがなくて、双眼鏡で表情をのぞいたら、ドン・キホーテみたいだ。男性用の金髪のカツラも完全に浮き上がっていて、不自然この上ない。

 ダンスにも、キーロフらしい上品な香りを全然感じることが出来なかった。コールドバレエは自分の踊りと周りに合わせるのに精一杯で、ぜんぜん表情がないし覇気が感じられない。ダンサーの資質の問題なのか、振付家が手を抜いているのか、練習時間が不足したのか・・・その何れかだろう。今回の主役は、ロシアのディアナ・ヴィシニョーワがオーロラ姫、王子はルジマートフの予定が怪我のため小嶋直也に変更された。ヴィシニョーワは、足の表情は美しいけれど、テクニック的にはイマイチ。第一幕の ローズ・アダージョをはじめ、バランス面では不安を感じさせたし、なによりも16歳のオーロラ姫らしい恥じらいを感じない。また急遽の代役だったためか小嶋直也との息が合わないし、第3幕の結婚式のシーンでも愛し合っているようには見えないので、物語的な説得力はゼロ。ヴィクトル・フェドトフ指揮新星日本交響楽団の音楽も、粗雑でニュアンスに乏しかった。

 唯一、見れたのが第3幕の結婚式のシーンで、様々なキャラクター・ダンサーが登場して舞台を彩っていくのだけれど、このときの衣装などはマトモ。しかし既に時遅し、私の集中力は完全に切れてしまった。この新国立劇場オープニングという晴れの舞台で、最初からアンサンブルが整った素晴らしい舞台が見られるとは思わないけれど、日本バレエ協会の学芸会的水準のバレエを見せられるとは思わなかった。私は第一幕が終わったときに帰りたかったんだけど、結局6時半から10時10分までの3時間40分、ホントに辛かった。しかしバレエ・ファンというのは実に忍耐強いし人が良い。こんな酷い舞台でもきちんと拍手はするし、ブーイングが飛ばないんだから。オマケに昨日の朝日新聞には舞台評が載っていたけど、好意的な内容なのでビックリした。こんな舞台評がまかり通っている間は、新国立劇場のバレエは絶対に良くならないと思うし、島田廣をはじめとした新国立劇場関係者の援護射撃にしかならないだろう。新国立劇場のバレエに関しては、ほとんど絶望的と言わざるを得ない。