パブロ・カザルス・メモリアル・コンサート

(文中の敬称は省略しています)


●97/10/12 日本初の室内楽専用ホールとしてカザルスホールがオープンしてから、10年目を迎えた。私が最も好きなピアニスト、シューラ・チェルカスキーに出会ったホールが、このカザルスホールだった。また、私は室内楽をこのカザルスホールから学んだし、また室内楽を聴くことによって音楽の聴き方そのものが変わったと思う。フル・オーケストラやオペラを聴く場合でも、「室内学的な演奏」というのが、私なりの評価の最大の基準になっている。

 「室内学的な演奏」と言っても、解ったような解らないような感じだけど、私自身もはっきりと定義できているわけではない。しかし室内楽を聴いて感覚的に感じるのは、奏者一人ひとりの自覚の高さ、アンサンブルの緻密さ、音色の統一感などは、オーケストラよりも遙かに高い次元で実現していることだ。オーケストラも大きくなると、弦楽器の後ろの方のプルトが「おいおい、ホントに弾く気あんの?」って感じを見かけるときがあるけれど、室内楽でこれをやったら絶対に音楽が崩壊する。自分のパートだけを理解するだけに止まらず、室内楽では一人ひとりの奏者がすべてのパートを理解し、その中で自分のパートをとらえ直すことが決定的に重要になってくるのだろうと思う。室内楽の音楽的純度の高さを支えているのは、奏者の自覚の高さだろう。欧米のオケでは団員が室内楽アンサンブルを演奏することを奨励している例も多いと聞くけれど、きっと室内楽が音楽の基本であることを示しているのではないだろうか。

 で、この日のコンサートは、素晴らしい顔ぶれが揃った。とりあえず知名度がありそうな人だけを並べてみると・・・

 開演は15時で、途中20分の休憩と50分のカクテルタイム(ワインと軽食のサービス付き)をはさんで終演は21時半。なんと昨日の「建・TAKERU」よりも長いのだが、演奏された音楽の品位では比較のしようがない。まさにカザルスホールの10年の歩みを総括するに相応しいコンサートだった。6時間半にも及ぶと、さすがにすべての曲を集中して聴くのは難しいし、いちいちその感想を書いていたらメチャクチャな字数になってしまう。したがって特に印象に残った演奏だけにとどめたい。なお、司会は、総合プロデューサー萩元晴彦とヴァイオリン奏者・矢島廣子。

 まずパメラ・フランク(Vn)&クロード・フランク(pf)親子によるベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」第1楽章。このコンビによる昨年のシューベルトそのヴァイオリン・ソナタの演奏会は素晴らしいものだったけれど、昨年のシューベルトが「静」だとすると、今回のベートーヴェンは「動」。深い知性に裏付けられた情熱がほとばしる。彼女は14日の都響定期で、バーバーのVn協奏曲を弾くのだけど、とても楽しみ。

 カザルスホールに新しく設置されたオルガンは、ヴォルフガング・ツェラーによってお披露目された。カバニーリョスというスペインの作曲家による「右手パートによるティエント」と「戦いのティエント」は、カザルスがスペインの教会で弾いていたと思われる作品。素朴で飾りのない音質で、天上から響きが教会的な雰囲気を醸し出す。

 カザルスの名を冠するだけに、チェロ奏者の名手が揃った。グァルネリSQのデヴィット・ソイヤーによる「鳥の歌」は枯淡の境地。ボザール・トリオのピーター・ワイリーによるフォーレ「夢のあとに」はしなやかな美しさ。アントニオ・メネセスによるファリャ「7つのスペイン民謡より」〜「子守歌」では、艶のあるチェロが美しい。圧巻だったのはこの3人のチェロ奏者によるポッパー「3つのチェロにためのレクイエム」。もう何と言って表現して良いのか解らない。3人とも個性的な音質なので違和感を感じるのが普通だと思うのだけれど、決してそんなことはない。一人のチェロの美しさが他のチェロをひきたて、その陰影感、その微妙なコントラストが実に美しいのだ。

 世界最高のクラリネット奏者ストルツマンが登場したモーツァルトのクラリネット五重奏曲(第2・3楽章)の天国的な美しさ。ボザール・トリオにパメラ・フランクが加わって演奏したブラームス「ピアノ四重奏曲」第4楽章の白熱した超名演奏。グァルネリSQ+ボザール・トリオによるブラームス弦楽六重奏曲第2番(第3楽章)の淡く渋い色彩感は、秋の香り。堀米+今井によるモーツァルト協奏交響曲(管弦楽:桐朋学園オーケストラ)は、大ホールで聴くとつまらないけれど、こうやって室内学的な演奏だと、非常に美しい曲なんだなぁ・・・と再認識させられた。

 アンコールは登場した全奏者が加わってのヨハン・シュトラウス「春の声」。贅沢の極みである。パブロ・カザルス、アレクサンダー・シュナイダー、ミエチスラフ・ホルチョフスキーの三人の名演奏家の精神はこの演奏家達に引き継がれている。カザルスホールはこの精神を具現化する場として、日本の室内楽演奏に大きな影響を与えてきた。レジデント・カルテットの育成、アマチュア室内楽フェスティバルなどの企画力の高さ。さらに知名度がなかった室内楽奏者が何人も登場したけれど、そのほとんどが素晴らしい演奏家だった。その選択眼の高さは特筆に値する。この企画を担うスタッフは、このホールにとって最も大切な宝に違いない。これからの10年も、変わらぬ精神を引き継いで欲しい。