長くても内容が充実していれば良いのだけれど、結論的に言うと「駄作」以外の何者でもない。最大の問題点は、登場人物の人間像が全く不明確で、それぞれの行動の必然性が全く伝わってこない点だろうと思う。歌手にはほとんどアリアらしいものはなく、基本的にレチタチーヴォで物語が進行する。したがってワーグナーのような管弦楽が登場人物の心理的な肉付けを行う形になるのだろうけど、音楽が平板で人間像が全く表現できていないのである。ところどころに團伊玖磨得意の民芸風舞曲や調子の良い行進曲が登場するからある程度救われるけれど、それ以外に聴きどころが皆無と言って良い。特に第2幕は聴いていて苦痛以外の何者でもなかった。草薙の場面とか弟橘姫が身を投じるところなんかは、ただのエピソード紹介以外の何者でもなく、リアリティもなければ必然性もない。團伊玖磨はきっと童謡や民話風音楽を作曲する分には才能があるのかもしれないけれど、それ以外の音楽には霊感とか天賦の才能はぜんぜん感じない。
それに加えて今回の舞台を決定的にダメにしたのは西澤敬一の演出である。もともと素材(音楽)に問題がある以上、良いオペラに仕上がるはずもないのだけれど、この演出はだめ押しだ。ラストの現代人が登場する合唱シーンは、もうメチャクチャ。現代にも通じる問題であることを訴えたかったのだろうけど、あまりにも唐突で、必然性は全くなし。聴き手をナメているとしか言いようがない。 草原に火をかけられた草薙の場面でも、建をはじめとして群衆の動きが鈍すぎて切迫感はないし、弟倭姫が海に身を投げて海底でアリアを歌うシーンで、竜宮城じゃあるまいし何で踊らなきゃいけないんだ!・・・って感じ。ひとつ覚えのように舞台中央に意味ありげなモニュメントを置く癖は治っていないし、変な風に最新の舞台装置を使いすぎて物語が希薄になった面も否定できない。まぁ、これまで舞台装置で苦労させられてきた演出家が、いろいろと使ってみたいと思う気持ちは分からなくはないけれど、あまりにも稚拙すぎる。
歌手では、稲垣俊也が大健闘。若々しく引き締まったバリトンの声を最後までキープ、この難役を巧くまとめ上げて、終演後のアンコールでも盛んな拍手を集めていた。佐藤しのぶは、かつてのような声の艶やふくらみがなくなってキンキンした声が響くだけ。情感の深さも感じられず、残念な出来だった。その他の歌手は、駄作にも関わらず大健闘したと言って良い。傑出した歌手がいない分、バランスという点では、満足がいくものだった。そして管弦楽、初めて聴く曲だけに善し悪しは言いにくいけれど、星出豊指揮東京交響楽団も決して悪くない。
で、終演後の反応。合唱が終わって舞台が暗転直後、3階と4階後方の3人くらいからブーイングが飛ぶけどすぐに途切れる。聴衆は「えっ、終わったの?」という感じで、最後の合唱に呆気にとられでしばしボーゼンとした感じだった。数秒後にパラパラと拍手が起こりはじめて、歌手が登場してから少しずつ大きくなる感じ。印象としては、「なんじゃこりゃ!? でもこんな長い時間頑張ったんだから拍手くらいしないとな」という雰囲気の消極的拍手。ブラボーが飛んだのは稲垣俊也と佐藤しのぶだけだったと思う。問題の團伊玖磨は一人で登場することはなく、指揮者に呼ばれて登場した。ブーイングも飛んだけれど、どちらかというと拍手の方に分があった。演出家の西澤敬一は、「逃亡」して姿を現さなかった。幕間にロビーで姿を見かけたので、居ないはずはなかったのに・・・。カーテンコールは2〜3回くらいで終わって、非常にあっけない幕切れだった。
今回の「建・TAKERU」は、ちょっとした改訂程度では救いがたい作品。はっきり言って壮大な無駄以外の何者でもない。ただ團伊玖磨や西澤敬一にすべての責任を押しつけるのもどうかと思う。根本的な責任は新国立劇場の演目決定システムにあるのではないか。私のような稚拙なオペラ・ファンでも、團伊玖磨に委嘱すればこの程度の作品しかできないことが予想できるのに、新国立劇場の首脳が予想できないはずがない。團伊玖磨に委嘱を決定した人間は、佐藤孝行を総務庁長官に据えた橋本首相と同罪じゃないだろうか。今後のプログラムも、既存のオペラ・カンパニーに割り振るように「下請け」に出され、既存の枠組みは当分の間変わりそうもない。今回の件できちんと反省し、ゼネラル・マネージャーを据えて責任体制を明確にしてほしいなぁ。