ケント・ナガノ=リヨン歌劇場の「カルメン」

(文中の敬称は省略しています)


●97/09/20 ケント・ナガノ=リヨン国立歌劇場による演奏会形式の「カルメン」公演の初日。会場に入って「おいおい、こりゃ、なんだ!?」と思った。プログラムには「合唱:藤原歌劇団」と書いてある。冗談じゃないぞ! 歌劇場と言う以上、オケと合唱団は必要不可分の要素である。その公演といったら、オケだけじゃなくて合唱団も引き連れて公演するのが常識じゃないか。家に帰ってきてチラシ(2種類)をみたら、確かに「合唱/藤原歌劇団合唱部」と書いてあった・・・ご丁寧に1.5〜2mm四方の小さな字である。「ケント・ナガノ」や「リヨン国立歌劇場」という文字の大きさと比較すると、全然目立たない。勘違いする方が悪いと言われるかもしれないけど、これじゃ悪徳不動産屋の広告と一緒じゃないか、と思ってしまった。ちょっと良識に欠けるんじゃないか。

 と、怒ってばかりいても仕方がないので、公演のこと。やっぱり注目はアンネ=ゾフィー・フォン・オッターに集中すると思う。あのクライバー=ウィーン国立歌劇場の「ばらの騎士」で、気品が高い声を聴かせてくれたオッターが、彼女自身はじめてジプシーの煙草工場の女工の役を歌うのである。あの声が「カルメン」に合うだろうか・・・と考えるのが普通だと思うけど、今日の公演を聴いてやっぱりカルメンの声ではないと思った。しかしミスキャストはミスキャストでも、「素晴らしきミスキャスト」だ。

 彼女がステージに登場して、第一声を発したときのふわっとした空気感と上品な色気、艶は、言葉に尽くしがたい。オッターが登場し、その声が聴けただけでもこの公演に行った価値があった。藤原の「カルメン」でバルツァを「理想的なカルメン」などと感想を書いたけどそれは撤回、そして「ジプシーのカルメンとしては、バルツァは理想的」と言い直そう。オッターのカルメンは、声の色気では圧倒的に優れている。バルツァの声には凄みがあるけれど、男を引きつける要素には乏しかった。ただしジプシー女のカルメンとしてみた場合、オッターは不似合いである。見た目もそうだけど、線が細く、声が上品すぎる。物語の性格上、カルメンはジプシー女としての要素が重要視されるので、カルメン歌いとしてみた場合、やっぱりバルツァの方が優れている、と言わざるを得ないだろう。

 ドン・ホセはアメリカ生まれのフランコ・ファリャーナ。第一幕は声も出ていなくて音程も怪しく、ヴィブラートが不自然に大きく震えるのに不満を感じたけど、幕が進むにつれて素晴らしい声を聴かせてくれるようになった。声量もあって、輝かしく引き締まった歌声はとても魅力的である。ミカエラは、1970年スロヴァキア生まれの若手ソプラノ、アンドレア・ダンコーヴァ。ちょっと歌い廻しが堅くぎこちなさを感じたけど、声量もそこそこで清純な雰囲気もミカエラにぴったり。ドン・ホセはフランスの若手バリトン、ルドヴィック・テジェだったけど、声の存在感は乏しかった。合唱の藤原歌劇団は、暗譜で歌っていたけど、この間の藤原公演の時よりは良かった。演奏会形式に見合う水準は確保しただろうと思う。しかし・・・絶対にフランスの合唱団で聴きたかった。どの歌手にも共通して言えることだけど、基本的に「上品」である。スニガも竜騎兵の隊長と言うよりも、会社の課長みたいな雰囲気で凄みに欠ける。さらにオーケストラも非常に上品なのだ。これはリヨンの「カルメン」のスタイルなのかもしれない。

 管弦楽のケント・ナガノ=リヨン国立歌劇場管弦楽団だけど、さすがにブラスの国だけに、管楽器は実に巧い。明るく抜けきった管楽器の音は、日本のオケでは決して聴くことが出来ないだろう。もちろん個人技だけではなくパートの受け渡しの時の音のつながりも実に綺麗に処理されていて、自然な音楽を作り出すのに長けている。弦楽器は、明るく軽やかな雰囲気。アンサンブルの精度や音の密度では、日本のオケの方が優れている部分もあるかもしれないけど、このオケの管楽器とのアンサンブルだったら合わないだろうと思う。その意味で、すべてのパートにおいて、音のつながりが良く、自然な流れを作り出せるオーケストラだ。ケント・ナガノのタクトも、歌手との呼吸を大事にしたもので、音楽的に不自然な点は微塵も感じさせない。

 今回の上演も、いわゆるオペラ・コミック版の上演。当日販売されていたプログラムによると、オリジナル=原典指向として「アルコーア版」というのを用いたらしい。これは世界的な流れなのかどうかは解らないけれど、フランス語の語感はなかなか難しい。たしかにこの間の藤原歌劇団の公演の時よりも自然だったけど、リヨン・オペラでもソリスト全員がフランス人という訳ではないので歌手によってフランス語の聞こえ方が違うような気がする。オペラ・コミック版が流行するとなると、歌手は大変だろうなぁ。トータルに見ると、非常に「上質」な公演だったと思う。「カルメン」らしくない「カルメン」だけど、このオペラを見てこれほど良いオペラだと思ったのは初めてだ。演奏会形式は、舞台装置や演出による誤魔化しが全く効かないため、音楽的水準が公演水準のすべてを決定する。物語的な側面を重視する人にとっては不満が大きいかもしれないけど、純音楽的な水準では、これまで聴いたカルメンの中で、ピカイチだ。