藤原歌劇団の「カルメン」

(文中の敬称は省略しています)


●97/09/11 この「カルメン」は、この一年の間に4回も上演されている。昨年11月にはキーロフ歌劇場(タラーソワ)、今年5月にはMET(マイヤー)、そしてこの9月には藤原(バルツァ)とリヨン歌劇場(オッター)の上演がある。カルメンは人気のある演目ではあるけれど、フランス語というのがネックとなるらしく、日本のカンパニーによって原語上演される機会は意外と多くない。それが一年間に4つのプロダクションで、4人のカルメンが見られる年というのは滅多にないだろうと思う。そのカルメンの顔ぶれたるや、いずれも大注目のメゾ・ソプラノばかりなのだから驚きである。

 その「カルメン・イヤー」の中で、唯一の国産「カルメン」が藤原歌劇団のもので、タイトルロールに迎えられたのがアグネス・バルツァである。発売早々に売り切れになったのも当然で、バルツァは当代随一のカルメンとの評価が高い。実際に11日の舞台に接して思ったのは、これは「藤原歌劇団のカルメン」というよりは「アグネス・バルツァのカルメン」と言った方が適切だろうということ。それくらいバルツァの存在感は凄かった。低音域から高音域まで滑らかで、適度に脂がのった歌声、なによりも役柄に徹しきった見事な語り口と演技は、これまで見たカルメンの中では文句なく最高で、理想的なカルメンである。容姿の点ではキーロフで見たタラーソワの方が説得力があるけれど、演技力や歌を総合すると、バルツァは現在でも最高のカルメン歌いなんじゃないだろうか。

 それ以外の歌手は、急激に影が薄くなってしまうのだけれど、ドン・ホセを歌ったルイス・リマは良かった。バルツァと比べると分が悪いけれど、METの時と聞き比べた人の話を聞くと今回の方がはるかに調子が良かったらしい。体格が小柄な割には、伸びやかで、なおかつ聞かせどころでの迫力も感じさせる。ミカエラは渡辺葉子から出口正子に変わったけど、語り口が堅すぎるし、歌声も調子が悪かった。エスカミーリョの折江忠道も、声に張りがなくて年齢を感じさてしまう。これでは花形闘牛士に見えない。

 今回は通常使われている「グランド・オペラ版」ではなくて「オペラ・コミック版」と呼ばれるもの。オペラ・コミックは「歌入りの芝居」みたいな感じで、歌ではなくてセリフで物語が展開していく。この「カルメン」のオペラ・コミック版には初めて接したけど、意外とセリフの部分が少ないので違和感は少なかった。でも、歌だとごまかしが利くけど、セリフだとフランス語らしい発音に聞こえない部分が多い。意欲的な取り組みは評価するけど結果に結びついているとは言い難い。フランスの歌劇団が上演すれば違うのかもしれないけど、あえて藤原歌劇団でオペラ・コミック版を見たいとは思わない。演出のグリシャ・アサガコフは明快で良かったけど、オペラ・コミック版なら芝居らしく群衆の動かし方にも一工夫が欲しかった。オケはクロアチア生まれのウジェコスラフ・シュティ=東フィル。音色の変化は乏しいけど、アクセントをつけてひたすら明るい演奏。これは演出の意図には沿っているとは思うけれど、カルメン組曲でこの演奏だったら物足りなさを感じるだろうと思う。オケそのものの水準は高かった。

 この日の「カルメン」は、バルツァそのものは良かったけど、その他は見るべきものに乏しく芝居としてもぎこちなかった。さらに、この日の会場は暑くて、会場にいるのがしんどかった。7月の「ラ・ファヴォリータ」ほどではなかったけど、満員の聴衆で埋め尽くされたホール内は空調がほとんど利いていない。6〜9月に東京文化会館が満員になると、終演後は体力がメチャ消耗している。これは東京文化会館の最大の欠点なので、来年の改修の際には、絶対に直して欲しいところ。

 今月下旬には、ケント・ナガノ=リヨン歌劇場が演奏会形式で「カルメン」を上演する。主役はアンネ=ゾフィー・フォン・オッター。彼女の声は、ちょっとカルメン向きとは思えないけれど、フランスの歌劇団による「カルメン」に接する機会はそれほど多くない。どのような「カルメン」に仕上がるのか、興味はつきない。