マーカス・ロバーツ・トリオ

(文中の敬称は省略しています)


●97/09/06 私はクラシック以外のコンサートにはあまり行く機会がないけれど、ジャズは意外とクラシックと縁がある。ガーシュインはジャズの影響を色濃く受けているし、バッハの曲はジャック・ルーシエなどによってジャズに編曲されている。ジャズのCDも何枚か持っているのだけれど、ライヴにはなかなか足が向かなくて一度も行ったことがない。このマーカス・ロバーツ・トリオは、 SKF初のジャズ・コンサートだけど、私自身も初めてのジャズのライヴ体験である。会場はザ・ハーモニーホール、松本駅から大糸線で二駅目の「島内」駅徒歩二分のところにある。公園の中にあって、とても落ち着いた外観の建物である。これまで見たホールの中で、最も自然と調和した美しいホールだ。開設して10年を経過しようとしているけど、私もこのホールは初めて。まさに初めてづくしのコンサートである。

 マーカス・ロバーツはジャズ・ピアニストで、今年33歳。96年のタングルウッド音楽祭で小澤=BSOと「ラプソディ・イン・ブルー」を共演して評判となった。そのコンサートの模様はNHK・BSで放送されたらしいので見た人はご存じかもしれないけど、彼は盲目のピアニストである。ステージに登場するときは、共演のドラム(アリ・ジャクソン・Jr)、ベース(タデウス・エクスポゼ)にピアノのところまでエスコートされているけど、一度ピアノの前に座ったら彼が盲目であると思う人はいないだろう。

 前半はマーカス・ロバーツ自身のオリジナルで「Times & Circumstance」。ある男女の一生の愛の姿をつづった曲で、1時間を超える大作だ。SKFということもあって、私も含めてジャズには不案内な聴き手が多かったためだろうか、前半は盛り上がりに欠けたところもあったけど、後半に関しては滅多に巡り会えないであろう音楽体験を味わえた。ジャズとクラシックを比較すると、「音やハーモニーの美しさ」や「アンサンブルの精緻さ」、ではクラシック音楽の方が大きく上回っているのは確かだろうと思う。しかし、その代償だろうか、・・・ジャズに劣っているものもあるのではないだろうか。この日のライヴで感じたのは、「呼吸」である。アドリブ的な要素の大きいジャズで、3人が曲の変わるタイミングをピタリと読みとる「呼吸」の合わせ方は驚きだし、さらに聴衆の「呼吸」を感じ取ってライヴを盛り上げていく感覚はクラシック音楽の世界ではでは考えられないんじゃないだろうか。私が座った席は、マーカス・ロバーツから数メートルしか離れていない一列目中央のブロック。PAを使っていたので、どの座席でも音の美しさでは大差なかろうと思うけど、ジャズではライヴ感を味わえる最高の場所だったかもしれない。後半は、会場が一体となって3人の絶妙の呼吸酔いしれてしまった。ライヴは予定を大幅に超過する3時間に及び、終演後は熱烈な拍手とスタンディング・オベーションに応えて一曲だけアンコール。帰りの電車の時間も迫っていたので、思いっきり駅まで走ってギリギリでセーフ! 間一髪で、19時からのケント・ナガノ=SKOのコンサートに間に合った。

 なお、この日のコンサートでは、クラシックのピアノを習っている盲目の少年(ヒロくんと紹介されていた)が、ステージ上のマーカス・ロバーツのすぐそばでピアノを聴いていた。なんでも小澤=BSOとの共演を聴いて、マーカス・ロバーツのファンになり、彼に会いに来たとのこと。マーカス・ロバーツの配慮で、ステージ上でピアノを聴くことになったのだけれど、ヒロくんもスペシャル・ゲストとしてモーツァルトのピアノ曲をを披露した。まだ辿々しさが残るピアノだけれど、盲目というハンディを乗り越えてここまでたどり着くのは容易なことではなかったに違いない。きっとマーカス・ロバーツ自身もそうだったのだろうと思う。

(ステージ写真は、信濃毎日新聞よりの転載です)