大野=都響「和解のレクイエム」

(文中の敬称は省略しています)


●97/08/28 サントリー音楽財団の「音楽の現在〜海外の潮流〜」の今年の選曲は「和解のレクイエム」である。第二次世界大戦から50年を経た1995年8月15・16日にシュトゥットガルト・ヨーロッパ音楽祭で初演されたこの曲は、現代を代表する14人の作曲家の合作である。この手の作品としては客席が埋まって、サントリーホールは約9割程度の入りとなった。
  1. ルチアーノ・ベリオ(イタリア)/プロローグ
  2. フリードリヒ・ツェルハ(オーストリア)/イントロイトゥスとキリエ
  3. パウル・ハインツ・ディットリヒ(ドイツ)/ディエス・イレ
  4. マレク・コペレント(チェコ)/ユデクス・エルゴ
  5. ジョン・ハービソン(アメリカ)/ユステ・ユデクス
  6. アルネ・ノールヘイム(ノルウェー)/コンフターティス
  7. バーナード・ランズ(アメリカ)/インテルルディウム
  8. マルク=アンドレ・ダルバヴィ(フランス)/オッフェルトリウム
  9. ジュディス・ウィアー(イギリス)/サンクトゥス
  10. クシシトフ・ペンデレツキ(ポーランド)/アニュス・デイ
  11. ウォルフガング・リーム(ドイツ)/コンムニオT
  12. アルフレード・シュニトケ+ゲンナジ・ロジェストベンスキー(ロシア)/コンムニオU
  13. 湯浅譲二(日本)/レスポンソリウム
  14. ジェルジ・クルターク(ルーマニア)/エピローグ  
 この企画は1993年からスタートし、出来上がった作品の調整は全く行われていない。演奏時間もバラバラで、全曲の正味は2時間弱、大編成のオーケストラに独唱5人に合唱まで加わったの大作である。これほどの作品だと統一感に乏しいと思うのが普通だけど、意外や意外、そんなことはない。特定のメロディー・ラインがある作曲家が集まるとメチャクチャになるのだろうけど、ここに集まった現代の作曲家はメロディーがない!(もしくはメロディーらしいものが少ない!) そのことが結果として集合体になっても違和感がそれほどない作品になったようだ。

 このような作品の場合、作曲家の立場としてはどうなのだろうか? 自分だけの作品ではないので手を抜くのか、それともライバルと比較されるので他の作品よりマジで作曲するのか、・・・それは解らないけど、このように比較すると作曲家の個性がよく伝わってくる。個人的に気に入ったのは 「V」のパウル=ハインツ・ディットリヒの「怒りの日」と、「[」のマルク=アンドレ・ダルバヴィの曲。前者は、膨大な打楽器が「怒りの日」を象徴し、その後、合唱だけとなる。声部をだんだんと細分化され、最後には32のパートに分かれるのだけど、ステージ上には合唱指揮者も現れる。バラバラにされていく民衆を象徴しているかのような合唱だ。後者は、アカペラでグレゴリオ聖歌が壮麗に歌われるのだが、その過程で何度もオーケストラ全体が戦火を思わせる刺激的な音で中断させる。そのコントラストが著しい。

 この作品を聴くのは初めてなので演奏の善し悪しを言える立場ではないけれど、大野和士=都響は素晴らしい演奏だった。若干の粗は感じたけど、いつもの都響以上の演奏を聴かせたことは間違いない。さらに特筆すべきは東京混声合唱団+東工大「コールクライネス」の合唱。この「レクイエム」の場合は合唱が少なからぬ比重を占めるけれど、粒が揃った高い水準の合唱を聴かせてくれた。豊田喜代美、坂本朱、井上幸一、黒田博の独唱も申し分なく、特に豊田喜代美の素晴らしさが光った。ボーイソプラノは、ちょっと声が聞こえなかったけど・・・。

 音楽による戦後50年の和解、その日本初演は成功に終わったと行って良いと思う。しかし日本の場合、欧米との和解よりも、アジアとの和解の方が遙かに重要で緊急な課題なのは言うまでもない。そのことは「和解のレクイエム」の価値を下げるものではないけれど、あらためて日本の抱える課題を感じる結果となったのは皮肉である。