小泉=都響の「ムソルグスキー」

(文中の敬称は省略しています)


●97/08/09 都響の「作曲家の肖像」シリーズで、今回のテーマ作曲家はムソルグスキーである。指揮は首席指揮者の小泉和裕で、会場の東京芸術劇場は夏休みということもあって満員になった。

 この日の注目は「禿山の一夜」のムソルグスキー自身による編曲の「原典版」と、一般的に演奏されている「R・コルサコフ編曲版」の聴き比べである。まず「原典版」を聴いたのだが、やっぱり原石以上のものではないという印象だ。土臭く、ごつごつした感じはロシア的ではあるけれども、このままの編曲だったら、現在、これほどの演奏頻度をキープすることは出来なかっただろう。対する「R・コルサコフ版」は「原典版」と聴き比べると、その差は明らかだ。ヨーロッパの洗練されたオーケストレーションに、ロシア的なエキゾチックな雰囲気をスパイスとして付け加えた感じ。やっぱりR・コルサコフは、オーケストレーションの天才だ。

 後半はお約束の「展覧会の絵」で、編曲はラヴェルのものである。前半の「禿山の一夜」(原典版)、ムソルグスキー自身の編曲による「ホヴァンシチナ」から数曲演奏されたのと聴き比べると、ムソルグスキーの管弦楽曲はR・コルサコフやラヴェルの編曲によって生命を与えられたような気がする。「展覧会の絵」に関しても、ピアノ版(これはこれで素晴らしい作品だけど・・・)だけでこれほどの演奏機会を得ていたかどうかと考えると、ラヴェルの編曲の力の大きさを感じざるを得ない。

 小泉の指揮は堅実で、各パートが綺麗に分離した音を聴かせてくれた。しかし「展覧会の絵」は、テーマごとの描き方が平板で色分けが十分でなかったり、金管の力不足や音程の不確かさが目立った。企画としては秀逸で、ムソルグスキーの曲を通じて編曲の偉大さを教えてくれた演奏会だけど、ムソルグスキー自身の偉大さはちょっとかすんでしまった感じがする。