リヒテル逝去

(文中の敬称は省略しています)


●97/08/03 最後の巨匠ピアニスト、スビャトスラフ・リヒテルが、8月1日、モスクワ市内の病院で心臓病のため帰らぬ人となった。新聞によると享年82歳。もはや彼のピアノをコンサートホールで聴くことは出来なくなってしまった。

 私はリヒテルを聴いたのは94年の冬に来日したときだけである。2月7日のオーチャードホールで行われたコンサートのプログラムは、グリークの叙情小品集だった。彼のプログラムとしては意外な選曲だったけど、この小品集から巨匠が引き出した音楽的内容は、従来のグリークのピアノ曲とはまったく次元を画すものだった。ステージの照明は暗く落とされてスポットライトだけ。哲人のような容貌のリヒテルは、彫刻家が鑿をふるうように音楽を彫り上げていく。その筆致の確かさ、意志の強さ、揺るぎない音に込められた内容の豊かさは、他のピアニストの追随は許さない。巨匠という言葉は、まさにリヒテルのためにある。

 もちろん94年の来日時は、リヒテルの最高時のものではなかっただろう。このときすでに79歳だったはずだし、モーツァルトのピアノ協奏曲(94年3月3日 サントリーホール バルシャイ=新星日響)も聴いたけど、決してテクニックに秀でたピアニストではなかったように思う。しかしそれがリヒテルの価値を下げるものではない。音譜の一つひとつに込める意志の強靱さ、これこそリヒテルのもつ唯一無二の真骨頂であり、他の誰もが真似できないものだと思う。

 残念ながら私のリヒテル体験はこれだけである。95年にも来日するはずだった。私はゲルギエフ=キーロフ歌劇場管弦楽団との共演(チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番)のチケットを買って楽しみにしていたけど、リヒテルの体調の不良からキャンセルとなってしまった。しかし、たった1回のコンサートでも、かけがえのない思い出を残すアーチストが存在する。リヒテルはそのことを教えてくれたピアニストだ。願わくばもう一度、ステージ上のリヒテルを聴きたかった。