英国ロイヤル・バレエ 「ロメオとジュリエット」

(文中の敬称は省略しています)


●97/06/25-26 全幕もののバレエ音楽といえばチャイコフスキーの三大バレエが最高傑作とされているけど、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」はそれと比肩しうる唯一の作品といって良いと思う。音楽的完成度の高さから、オーケストラの演奏会では何度も取り上げられたし、それを何度か聴いてきた。しかし舞台もののバレエに接するのは、今回のロイヤル・バレエが初めて。この公演は人気が高く、両日とも立見席が設けられ、特に26日はNHKホール3階最後列には二重の人垣が出来るほどだった。

 イギリスはシェイクスピア以来の伝統だろうか、演劇が盛んな国だという印象がある。「ドン・キホーテ」もそうだったけど、他のバレエ団と違ってストーリー性を重視した舞台を作り上げている。この「ロメオとジュリエット」は、ケネス・マクミランの振付、ニコラス・ジョージアディスの美術、ジョン・B・リードの照明だけど、これが非常に格調が高い舞台を作り上げている。舞台装置は一見、簡素に見えるかもしれないけど、色づかいが重厚で安っぽくない。衣装に関してはこれ以上ないくらい豪華で美しいし、効果的な照明が駆使されている。そして何よりも「振付」が素晴らしい。言葉が存在しないバレエ公演で、これほどまで繊細な心理表現・感情表現が可能とは思いもしなかった。一見、高度なテクニックが見あたらないように感じるけど、ジュリエットには極めて高度な心理表現が要求されている。最大の見所は、ジュリエットを踊るダーシー・バッセル(初日:25日)とシルヴィ・ギエム(2日目:26日)の競演である。

 25日の配役は、スチュアート・キャンシィが足の怪我のためキャンセル、代わりにアダム・クーパーがロミオを踊り、ジュリエット前述の通りダーシー・バッセル、「ドン・キホーテ」では怪我のためキャンセルしたけど見事に復帰した。そのバッセルだけど、実に素晴らしいジュリエットを演じた。もうこれ以上考えられないくらいのジュリエットだ。シェイクスピアの戯曲だと、ジュリエットは14歳。バッセルはすこし小柄でとても可憐、その愛らしい容姿はジュリエットにピッタリ。(余談:カーテンコールの時に一階舞台袖まで降りていって間近にみたけど、ホントにきれいな人だった) 感情表現も繊細かつ豊か。舞踏会でのロミオとの出会いの驚きと喜び、親が決めた婚約者パリスとの踊りでは心ここにあらず、戸惑いと悲しみを隠しきれない。さらにロミオの死骸をみて自ら命を絶つシーンでは、涙を禁じ得ないだろう。舞台上の彼女は、もはやバッセルではなくジュリエットそのものになりきっていたような感じさえする。

 対する26日は、シルヴィ・ギエムとジョナサン・コープ。ギエムが踊るジュリエットも悪くはない。テクニックに関してはバッセル以上であることは間違いないと思う。でも、このマクミランの振付の「ロメオとジュリエット」に限っては、バッセルの方が一枚も二枚も上手じゃないだろうか。もともとギエムがパリ・オペラ座からロイヤル・バレエに移籍するときに、ロイヤル・バレエのスタイルに合うかどうか議論が巻き起こったけど、彼女の踊りはいささかメタリックで感情が伝わりにくい。「ドン・キホーテ」のキトリみたいに一面的な性格のキャラクターであれば問題はないのだけど、ジュリエットのように様々な心理表現が要求される役柄になると問題点が露呈してしまう。舞台上の彼女は、やはりシルヴィ・ギエムのままだったと思う。彼女自身のキャラクターが強すぎるのだろうか。

 音楽的にはプロコフィエフの最高傑作に数えられる作品だけど、演奏はリチャード・バーナス指揮の東京フィルハーモニア管弦楽団。初日はまずまずの演奏だったが、2日目は金管の疲労が目立つ。音程が不確かで、よく転けた(^_^;;) 他のパートはともかく、金管に限ってはハラハラ、ドキドキの連続! バレエの場合は視覚に神経が集中しているので気にならないかもしれないけど、これが演奏会だったら聴く気になれないだろう。

 最後に、この公演のチケットのこと。私は運良くF席2,000円のチケットを入手できて、この素晴らしい公演を4回もみることが出来た。特に「ロメオとジュリエット」の25日の公演は、私の数少ないバレエ鑑賞歴の中では最高の舞台だった。音楽的な充実度では問題があったけど、舞台に限ってはたいへん満足できた。普段、値段が高いチケットに文句ばかり言っているけど、たまにはこーゆー安いチケットに感謝してもバチは当たらないだろう(^_^;)