若杉=都響のモーツァルト

(文中の敬称は省略しています)


●97/04/19 東京文化会館で行われた都響のA定期には、前音楽監督の若杉弘の登場。メジャーな選曲と土曜日ということも相まって、東京文化会館としては聴衆は多めで、8割程度の入りとなった。  

 はじめに若杉弘という指揮者について書くけど、彼ほど聴衆の好き嫌いがはっきり別れている指揮者も珍しい。都響には音楽監督として9年間在籍したけど、その間、マーラー・チクルス、ワーグナー・チクルスを始め、演奏会形式のオペラやメシアンやブーレーズなど20世紀の作品を日本初演するなど意欲的なプログラミングで多くの聴衆を集めた。その知性的で絶妙なプログラミングは、アンチ若杉派も見事さを認めざるを得ないところだろうと思う。

 その一方で、若杉とオケの間の軋みが漏れ伝わってきて、その関係は悪化の一途をたどっていたらしい。95年3月の最後の定期演奏会ではマーラーの9番が演奏されたけど、バランスは滅茶苦茶で希にみる酷い演奏だった。会場は若杉支持派のブラボーの声が渦巻いていたけど、演奏そのものは指揮者とオケの関係を端的に示すものだった。そのような事情があったので、都響の指揮台には当分登ることはないと思っていたのだけど、2年しか経過していないのに都響定期再登場となった。

 今日の曲目はモーツァルトで、交響曲第35番「ハフナー」、第40番、休憩をはさんで「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と第41番というもの。耳あたりは良い曲だけど、ごまかしが利かない難しい選曲である。音の美しさはもちろん、各パートが綺麗に分離して、さらに音楽の縦の線と横の線が高い次元でかみ合わなければ、ただの眠たい演奏で終わってしまう。若杉の演奏は、そーゆー意味では非常に平凡な演奏だった。音色に関しては、都響なら弦楽器はもっと引き締まって綺麗な音が出せるはずだ。縦の線はピタリとそろっているけど、フレーズを短く切って演奏しているので音楽の流れが途切れてしまう。 

 休憩後は弦楽器も鳴りはじめて、交響曲第41番の終楽章は推進力があって良かったけど、それ以外は聴くべきものがなかった。世界的にモーツァルトをきちんと振れる指揮者が極めて少ないので、若杉一人のその責任を押しつける気にはならないけど、若杉はやっぱりワーグナーやR・シュトラウスなどの後期ロマン派以降の曲でないと安心して聴けない指揮者だと思う。

 あと都響事務局にひとこと。都響の定期で演奏会形式のオペラを上演する場合、必ずサントリーホールが使われているけど、これはちょっと理解できない。今回の「エレクトラ」もサントリーホールだけど、声はステージ横や後ろの席ではまともに聞こえないのは明らかだし、残響音も声楽には文化会館の方が向いている。大編成の要求されるR・シュトラウスならサントリーのステージでは手狭なはずだ。反対に小編成のモーツァルトを演奏するなら、文化会館よりもサントリーの方が良いのは明らかだ。なんで「エレクトラ」がサントリーホールで、モーツァルトが「文化会館」なのか、納得できる理由があるとは思えないんだけど・・・どうだろうか。