尾高忠明=紀尾井シンフォニエッタ東京

(文中の敬称は省略しています)


●97/04/12 紀尾井ホールのレジデント・オーケストラの紀尾井シンフォニエッタ東京の第9回定期演奏会で、指揮は尾高忠明。いつもは満員に近い入りなのに、今日に限っては2階バルコニーを中心に空席が目立っていたので、だいたい7割程度の入りだったと思う。原因は地味目の選曲だろうか・・・シベリウス「田園組曲」、ヒンデミット「弦楽のための五つの小品」、吉松隆「朱鷺によせる哀歌」、バルトーク「弦楽のためのディベルトメント」というもの。吉松の曲にピアノが入る他は、すべて弦楽合奏の曲である。

 今日のプログラムのうち、聴いたことがある曲はバルトークの「弦楽のためのディベルトメント」だけで、昨年9月にサイトウ・キネン・フェスのとき。一夜のプログラムのメインとなりえる曲だと思うけど、残念ながら知名度では劣ってしまうので観客動員力は弱い。でも当夜のプログラムはどの曲も美しい。どれも薄暗い影がある曲だけど、KSTの引き締まった弦楽器の音がよく映える。特に吉松隆の作品はきれいだと思った。滅び行く朱鷺(トキ)の悲しげな鳴き声、羽ばたきが擬音化されているのだけど、とても高い次元に昇華されているので単なる擬音化や音響効果だけではない。これからもレパートリーとして演奏され続ける作品だろうと思う。

 後半のバルトークは、小澤=サイトウキネンで聴いたときは、音楽的な内容よりもオケの優秀さに目を奪われてしまったのだけど、尾高=KSTのアプローチとはかなりの違いを感じた。民族的なリズム感が全面に押し出された作品だけど、小澤のアプローチはそのリズム感をより強調してダイナミックレンジの広い演奏に仕上げた。対して尾高はリズム感は程々にして音楽の横の流れを大事にした演奏となった。練習時間を5日とったのならもう少し縦の線をピタリとそろえて欲しいと思うけど、第3楽章のガヴォットをはさんだ曲相の変化の表現は見事。
 充実した、密度の濃い演奏会だった。