藤原歌劇団の「椿姫」

(文中の敬称は省略しています)


●97/01/15 藤原歌劇団が1990年から毎年「成人の日」前後にオーチャードホールで上演しているヴェルディ「椿姫」の公演。日本初の本格的なレパートリー・システムによる上演だと思うけど、そのメリットを生かして豪華な舞台装置を作製し毎年使用、さらに世界中の注目の歌手をあつめて上演水準も国際的なレベルに達していると思う。私がこのシリーズで接したヴィオレッタは、イレアナ・コトルバス、キャサリン・カッセッロ、ジェシー・デヴィヌー(2回)、チェン・スーの4人。今年は現在最も注目すべきソプラノ、ルチアーノ・セッラがが登場するはずだったけどインフルエンザのためキャンセル。これは残念だったけど代役として登場したのがなんと! アンジェラ・ゲオルギュー! 1994年にショルティ指揮コヴェント・ガーデン歌劇場で「椿姫」を歌って一躍注目を集めた新進のソプラノである。

 この舞台は録画されてレーザー・ディスクにもなっているらしいけど、BSでも放送されて見たことがある。彼女を見て誰もが感じることだと思うけど、ゲオルギューはとても「美人」である。よくチラシやプログラムの写真とステージの実物を見比べて「ううむ・・・」と唸ることが多いけど、彼女に限ってはそのようなことはあり得ない。テレビのどアップでみてあれだけ綺麗なのだから、ステージで見て失望することはないだろう。私個人はそれほど面食い?ではないのだが、オペラの主人公のほとんどは「美女」という設定である以上、それらしい容貌は説得力があるステージ作りにとって大きな武器であることは間違いない。

 しかし歌手である以上、問われるのはヴィオレッタとしての歌唱である。ナマで聴いた彼女の声、声量は大きくはないけれど不足することはない。第一幕なんかは歌い回しに若干堅さを感じるところがあったけど、高音に至るまでつながりがあってとても美しい声。素材そのものは決して悪くないけど、ちょっと問題だと思ったのは表現力。「そは彼の人か〜花から花へ」という対照的な心境の表現はちょっと平板で、歌い分けが出来ていない。2幕1場のジェルモンとのやりとりは感情の起伏を表現していたけど、それ以外はちょっと感心できなかった。

 アルフレードは新鋭マルコ・ベルティ。引き締まった声が魅力的なテノールで、このシリーズで登場したアルフレードでは一番好みに近い声だった。さほど表現力が要求されない役柄なので、その役割は十分に果たしたと思う。ジェルモンは慶応法学部卒、脱サラして歌手になったと評判の堀内康雄。引き締まった声のバリトンだけど、個人的な好みから言うともうすこし深々とした声のジェルモンがいい。だけど日本オペラ界へのデビューとしては、良い印象を植え付けたんじゃないだろうか。だけど彼が「プロヴァンスの陸と海」を歌い終わった後、特定の方向からの盛大なブラボーはちょっと興ざめ。悪くはなかったけど、どう考えたってそこまで誉めるべき歌唱じゃない。内輪(慶応ワグネル?)以外に考えられないぞ。

 演出は松本重孝。舞台装置は同じという制限があるので、演出に手を加えられる幅にも制限がある。従ってオーソドックスな演出の範囲内のものだったけど、ちょっとだけ味付けはしていた。2幕2場でヴィオレッタがジェルモンに「娘のように抱きしめて下さい」と言うシーンがあるけど、ジェルモンがヴィオレッタをシカトしたのを見るのは初めて。管弦楽は大野和士=東フィルだけど、もうすこし自己主張と躍動感を盛り込んだ伴奏を聴かせてほしかった。ヨーロッパ公演から帰ってきて元気だったころの東フィルに比べると、ちょっと落ち着いてしまった感じだ。

 ビジュアル的には高い次元の舞台だったと思う。ただ音楽的には望むべき点も多かった。ゲオルギューは92年のコヴェントガーデン歌劇場(ロイヤル・オペラ)の来日公演で「ドン・ジョバンニ」のシェルリーナを歌っている。そのときには全く話題にはならなかった(私も同演目は見たけど別キャストだった)けど、今度の舞台で日本の聴衆に大きな印象を与えたことは間違いない。歌ではまだ進歩の余地があるけど、DVDなどビジュアル的要素が重視される現代では存在感がもっと大きくなるに違いない。